論釋尊とす、其書の性質上、時代を經るに隨つて本文に増減を來すを免れず、西紀二二四に竺律※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]と呉支謙とが共譯せる法句は五百偈本に更に足して七百五十三偈ありとす、而して支謙(?)の記する所に由れば當時已に五百偈、七百偈、九百偈の三本ありとす、今譯出する所の波梨本は二十六章四百二十三頌あり、重複せる一頌を除けば四百二十二頌なり、この頌數の少き點より見て波梨所傳の方が一層故きを知るべし。
 集録者は不明なれども、北方所傳の法句經即ち波梨所傳に増加したる集録は法救(〔Dharmata_ta〕)撰と傳へらる、而して法救の年代は詳ならざれども佛滅後約四百年、西紀前一世紀頃ならんと推定せらる、然らば波梨所傳の法句は前述の理に因り是より以前ならざる可らず、又集録せし時はたとひ佛滅後若干百年を經しとするも、集められたる頌文の大部分は佛陀の自説たるや疑なし、又後年佛弟子の追加※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入の頌文を含むにしても。

   佛教中に於ける位置

 佛の説法は質問者ありて、此に對して酬答する時と、問者無きに佛
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