そ》れを聞《き》きませう。』
『其《そ》れは私《わたし》の權内《けんない》に無《な》い事《こと》なのです。まあ、考《かんが》へて御覽《ごらん》なさい、私《わたし》が假《かり》に貴方《あなた》を此《こゝ》から出《だし》たとして、甚麼利益《どんなりえき》が有《あ》りますか。先《ま》づ出《で》て御覽《ごらん》なさい、町《まち》の者《もの》か、警察《けいさつ》かが又《また》貴方《あなた》を捉《とら》へて連《つ》れて參《まゐ》りませう。』
『左樣《さやう》さ/\其《そ》れは然《さ》うだ。』と、イワン、デミトリチは額《ひたひ》の汗《あせ》を拭《ふ》く、『其《そ》れは然《さ》うだ、然《しか》し私《わたし》は如何《どう》したら可《よ》からう。』
 アンドレイ、エヒミチはイワン、デミトリチの顏付《かほつき》、眼色《めいろ》抔《など》を酷《ひど》く氣《き》に入《い》つて、如何《どう》かして此《こ》の若者《わかもの》を手懷《てなづ》けて、落着《おちつ》かせやうと思《おも》ふたので、其寐臺《そのねだい》の上《うへ》に腰《こし》を下《おろ》し、些《ちよつ》と考《かんが》へて、偖《さて》言出《いひだ》す。
『貴方《あなた》は如何《どう》したら可《よ》からうと有仰《おつしや》るが。貴方《あなた》の位置《ゐち》を好《よ》くするのには、此《こゝ》から逃出《にげだ》す一|方《ぱう》です。然《しか》し其《そ》れは殘念《ざんねん》ながら無益《むえき》に歸《き》するので、貴方《あなた》は到底《たうてい》捉《とら》へられずには居《を》らんです。社會《しやくわい》が犯罪人《はんざいにん》や、精神病者《せいしんびやうしや》や、總《すべ》て自分等《じぶんら》に都合《つがふ》の惡《わる》い人間《にんげん》に對《たい》して、自衞《じゑい》を爲《な》すのには、如何《どう》したつて勝《か》つ事《こと》は出來《でき》ません。で、貴方《あなた》の爲《な》すべき所《ところ》は一つです。即《すなは》ち此處《こゝ》に居《ゐ》る事《こと》が必要《ひつえう》であると考《かんが》へて、安心《あんしん》をしてゐるのみです。』
『いや、誰《たれ》にも此處《こゝ》は必要《ひつえう》ぢや有《あ》りません。』
『然《しか》し已《すで》に監獄《かんごく》だとか、瘋癲病院《ふうてんびやうゐん》だとかの存在《そんざい》する以上《いじやう》は、誰《たれ》か其中《そのうち》に入《はひ》つてゐねばなりません、貴方《あなた》でなければ、私《わたくし》、でなければ、他《ほか》の者《もの》が。まあお待《ま》ちなさい、左樣《さやう》今《いま》に遙《はる》か遠《とほ》き未來《みらい》に、監獄《かんごく》だの、瘋癲病院《ふうてんびやうゐん》の全廢《ぜんぱい》された曉《あかつき》には、即《すなは》ち此《こ》の窓《まど》の鐵格子《てつがうし》も、此《こ》の病院服《びやうゐんふく》も、全《まつた》く無用《むよう》になつて了《しま》ひませう、無論《むろん》、然云《さうい》ふ時《とき》は早晩《さうばん》來《き》ませう。』
 イワン、デミトリチはニヤリと冷笑《わら》つた。
『然《さう》でせう。』と、彼《かれ》は眼《め》を細《ほそ》めて云《い》ふた。『貴方《あなた》だの、貴方《あなた》の補助者《ほじよしや》のニキタなどのやうな、然云《さうい》ふ人間《にんげん》には、未來《みらい》などは何《なん》の要《えう》も無《な》い譯《わけ》です。で、貴方《あなた》は好《よ》い時代《じだい》が來《こ》やうと濟《すま》してもゐられるでせうが、いや、私《わたくし》の言《い》ふことは卑《いやし》いかも知《し》れません、笑止《をか》しければお笑《わら》ひ下《くだ》さい。然《しか》しです、新生活《しんせいくわつ》の曉《あかつき》は輝《かゞや》いて、正義《せいぎ》が勝《かち》を制《せい》するやうになれば、我々《われ/\》の町《まち》でも大《おほい》に祭《まつり》をして喜《よろこ》び祝《いは》ひませう。が、私《わたし》は其迄《それまで》は待《ま》たれません、其時分《そのじぶん》にはもう死《し》んで了《しま》ひます。誰《たれ》かの子《こ》か孫《まご》かは、遂《つい》に其時代《そのじだい》に遇《あ》ひませう。私《わたくし》は誠心《まごゝろ》を以《もつ》て彼等《かれら》を祝《しゆく》します、彼等《かれら》の爲《ため》に喜《よろこ》びます! 進《すゝ》め! 我《わ》が同胞《どうばう》! 神《かみ》は君等《きみら》に助《たすけ》を給《たま》はん!』と、イワン、デミトリチは眼《め》を輝《かゞや》かして立上《たちあが》り、窓《まど》の方《はう》に手《て》を伸《のば》して云《い》ふた。
『此《こ》の格子《こうし》の中《うち》より君等《きみら》を祝福《しゆくふく》せん、正義《せいぎ》萬歳《ばんざい》! 正義《せいぎ》萬歳《ばんざい》!』
『何《なに》を那樣《そんな》に喜《よろこ》ぶのか私《わたくし》には譯《わけ》が分《わか》りません。』と、院長《ゐんちやう》はイワン、デミトリチの樣子《やうす》が宛然《まるで》芝居《しばゐ》のやうだと思《おも》ひながら、又《また》其風《そのふう》が酷《ひど》く氣《き》に入《い》つて云《い》ふた。
『成程《なるほど》、時《とき》が來《く》れば監獄《かんごく》や、瘋癲病院《ふうてんびやうゐん》は廢《はい》されて、正義《せいぎ》は貴方《あなた》の有仰《おつしや》る通《とほ》り勝《かち》を占《し》めるでせう、然《しか》し生活《せいくわつ》の實際《じつさい》が其《そ》れで變《かは》るものではありません。自然《しぜん》の法則《はふそく》は依然《いぜん》として元《もと》の儘《まゝ》です、人々《ひと/″\》は猶且《やはり》今日《こんにち》の如《ごと》く病《や》み、老《お》い、死《し》するのでせう、甚麼立派《どんなりつぱ》な生活《せいくわつ》の曉《あかつき》が顯《あら》はれたとしても、畢竟《つまり》人間《にんげん》は棺桶《くわんをけ》に打込《うちこ》まれて、穴《あな》の中《なか》に投《とう》じられて了《しま》ふのです。』
『では來世《らいせい》は。』
『何《なに》、來世《らいせい》。戯談《じやうだん》を云《い》つちや可《い》けません。』
『貴方《あなた》は信《しん》じなさらんと見《み》えるが私《わたし》は信《しん》じてます。ドストエフスキイの中《うち》か、ウオルテルの中《うち》かに、小説中《せうせつちゆう》の人物《じんぶつ》が云《い》つてる事《こと》が有《あ》ります、若《も》し神《かみ》が無《な》かつたとしたら、其時《そのとき》は人《ひと》が神《かみ》を考《かんが》へ出《だ》さう。で、私《わたくし》は堅《かた》く信《しん》じてゐます。若《も》し來世《らいせい》が無《な》いと爲《し》たならば、其時《そのとき》は大《おほ》いなる人間《にんげん》の智慧《ちゑ》なるものが、早晩《さうばん》是《こ》れを發明《はつめい》しませう。』
『フヽム、旨《うま》く言《い》つた。』
と、アンドレイ、エヒミチは最《い》と滿足氣《まんぞくげ》に微笑《びせう》して。
『貴方《あなた》は然《さ》う信《しん》じてゐなさるから結構《けつこう》だ。然云《さうい》ふ信仰《しんかう》が有《あ》りさへすれば、假令《たとひ》壁《かべ》の中《なか》に塗込《ぬりこ》まれたつて、歌《うた》を歌《うた》ひながら生活《せいくわつ》して行《ゆ》かれます。貴方《あなた》は失禮《しつれい》ながら何處《どこ》で教育《けういく》をお受《う》けになつたか?』
『私《わたくし》は大學《だいがく》でゝす、然《しか》し卒業《そつげふ》せずに終《しま》ひました。』
『貴方《あなた》は思想家《しさうか》で考深《かんがへぶか》い方《かた》です。貴方《あなた》のやうな人《ひと》は甚麼場所《どんなばしよ》にゐても、自身《じしん》に於《おい》て安心《あんしん》を求《もと》める事《こと》が出來《でき》ます。人生《じんせい》の解悟《かいご》に向《むか》つて居《を》る自由《じいう》なる深《ふか》き思想《しさう》と、此《こ》の世《よ》の愚《おろか》なる騷《さわぎ》に對《たい》する全然《ぜん/\》の輕蔑《けいべつ》、是《こ》れ即《すなは》ち人間《にんげん》の之《こ》れ以上《いじやう》のものを未嘗《いまだかつ》て知《し》らぬ最大幸福《さいだいかうふく》です。而《さう》して貴方《あなた》は縱令《たとひ》三|重《ぢゆう》の鐵格子《てつがうし》の内《うち》に住《す》んでゐやうが、此《こ》の幸福《かうふく》を有《も》つてゐるのでありますから。ヂオゲンを御覽《ごらん》なさい、彼《かれ》は樽《たる》の中《なか》に住《す》んでゐました、然《け》れども地上《ちじやう》の諸王《しよわう》より幸福《かうふく》で有《あ》つたのです。』
『貴方《あなた》の云《い》ふヂオゲンは白癡《はくち》だ。』と、イワン、デミトリチは憂悶《いうもん》して云《い》ふた。『貴方《あなた》は何《なん》だつて私《わたくし》に解悟《かいご》だとか、何《なん》だとかと云《い》ふのです。』と、俄《にはか》に怫然《むき》になつて立上《たちあが》つた。『私《わたくし》は人並《ひとなみ》の生活《せいくわつ》を好《この》みます、實《じつ》に、私《わたくし》は恁云《かうい》ふ窘逐狂《きんちくきやう》に罹《かゝ》つてゐて、始終《しゞゆう》苦《くる》しい恐怖《おそれ》に襲《おそ》はれてゐますが、或時《あるとき》は生活《せいくわつ》の渇望《かつばう》に心《こゝろ》を燃《も》やされるです、非常《ひじやう》に人並《ひとなみ》の生活《せいくわつ》を望《のぞ》みます、非常《ひじやう》に、其《そ》れは非常《ひじやう》に。』
 彼《かれ》は室内《しつない》を歩《ある》き初《はじ》めたが、施《やが》て小聲《こゞゑ》で又《また》言《いひ》出《だ》す。
『私《わたくし》は時折《ときをり》種々《いろ/\》な事《こと》を妄想《まうざう》しますが、往々《わう/\》幻想《まぼろし》を見《み》るのです、或人《あるひと》が來《き》たり、又《また》人《ひと》の聲《こゑ》を聞《き》いたり、音樂《おんがく》が聞《きこ》えたり、又《また》林《はやし》や、海岸《かいがん》を散歩《さんぽ》してゐるやうに思《おも》はれる時《とき》も有《あ》ります。何卒《どうぞ》私《わたくし》に世《よ》の中《なか》の生活《せいくわつ》を話《はな》して下《くだ》さい、何《なに》か珍《めづ》らしい事《こと》でも無《な》いですか。』
『町《まち》の事《こと》をですか、其《そ》れとも一|般《ぱん》の事《こと》に就《つ》いてゞすか?』
『先《ま》づ町《まち》の事《こと》からして伺《うかゞ》ひませう。其《そ》れから一|般《ぱん》のことを。』
『町《まち》では實《じつ》にもう退屈《たいくつ》です。誰《だれ》を相手《あひて》に話《はなし》するものもなし。話《はなし》を聞《き》く者《もの》もなし。新《あたら》しい人間《にんげん》はなし。然《しか》し此頃《このころ》ハヾトフと云《い》ふ若《わか》い醫者《いしや》が町《まち》には來《き》たですが。』
『甚麼人間《どんなにんげん》が。』
『いや、極《ご》く非文明的《ひぶんめいてき》な、奈何云《どうい》ふものか此《こ》の町《まち》に來《く》る所《ところ》の者《もの》は、皆《みな》、見《み》るのも胸《むね》の惡《わる》いやうな人間計《にんげんばか》り、不幸《ふかう》な町《まち》です。』
『左樣《さやう》さ、不幸《ふかう》な町《まち》です。』と、イワン、デミトリチは溜息《ためいき》して笑《わら》ふ。『然《しか》し一|般《ぱん》には奈何《どう》です、新聞《しんぶん》や、雜誌《ざつし》は奈何云《どうい》ふ事《こと》が書《か》いてありますか?』
 病室《びやうしつ》の中《うち》はもう暗《くら》くなつたので、院長《ゐんちやう》は靜《しづか》に立上《たちあが》る。然《さう》して立《た》ちながら、外國《ぐわいこく》や、露西亞《ロシヤ》の新聞《しんぶん》雜誌《ざつし》に書《か》
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