》では其《そ》れが爲《ため》に醫員《いゐん》を一人《ひとり》増《ま》す事《こと》と定《さだ》められた。で、アンドレイ、エヒミチの補助手《ほじよしゆ》として、軍醫《ぐんい》のエウゲニイ、フエオドロヰチ、ハヾトフといふが、此《こ》の町《まち》に聘《へい》せられた。其人《そのひと》は未《ま》だ三十|歳《さい》に足《た》らぬ若《わか》い男《をとこ》で、頬骨《ほゝぼね》の廣《ひろ》い、眼《め》の小《ちひ》さい、ブルネト、其祖先《そのそせん》は外國人《ぐわいこくじん》で有《あ》つたかのやうにも見《み》える、彼《かれ》が町《まち》に來《き》た時《とき》は、錢《ぜに》と云《い》つたら一|文《もん》もなく、小《ちひ》さい鞄《かばん》只《たゞ》一個《ひとつ》と、下女《げぢよ》と徇《ふ》れてゐた醜女計《みにくいをんなばか》りを伴《ともな》ふて來《き》たので、而《さう》して此女《このをんな》には乳呑兒《ちのみご》が有《あ》つた。彼《かれ》は常《つね》に廂《ひさし》の附《つ》いた丸帽《まるばう》を被《かぶ》つて、深《ふか》い長靴《ながぐつ》を穿《は》き冬《ふゆ》には毛皮《けがは》の外套《ぐわいたう》を着《き》て外《そと》を歩《ある》く。病院《びやうゐん》に來《き》てより間《ま》もなく、代診《だいしん》のセルゲイ、セルゲヰチとも、會計《くわいけい》とも、直《す》ぐに親密《しんみつ》になつたのである。下宿《げしゆく》には書物《しよもつ》は唯《たゞ》一|册《さつ》『千八百八十一|年度《ねんど》ヴインナ大學病院《だいがくびやうゐん》最近《さいきん》處方《しよはう》』と題《だい》するもので、彼《かれ》は患者《くわんじや》の所《ところ》へ行《い》く時《とき》には必《かなら》ず其《そ》れを携《たづさ》へる。晩《ばん》になると倶樂部《くらぶ》に行《い》つては玉突《たまつき》をして遊《あそ》ぶ、骨牌《かるた》は餘《あま》り好《この》まぬ方《はう》、而《さう》して何時《いつ》もお極《きま》りの文句《もんく》を可《よ》く云《い》ふ人間《にんげん》。
 病院《びやうゐん》には一|週《しう》に二|度《ど》づつ通《かよ》つて、外來患者《ぐわいらいくわんじや》を診察《しんさつ》したり、各病室《かくびやうしつ》を廻《まは》つたりしてゐたが、防腐法《ばうふはふ》の此《こゝ》では全《まつた》く行《おこな》はれぬこと、呼血器《きふけつき》のことなどに就《つ》いて、彼《かれ》は頗《すこぶ》る異議《いぎ》を有《も》つてゐたが、其《そ》れと打付《うちつ》けて云《い》ふのも、院長《ゐんちやう》に恥《はぢ》を掻《か》かせるやうなものと、何《なん》とも云《い》はずにはゐたが、同僚《どうれう》の院長《ゐんちやう》アンドレイ、エヒミチを心祕《こゝろひそか》に、老込《おいこみ》の怠惰者《なまけもの》として、奴《やつ》、金計《かねばか》り溜込《ためこ》んでゐると羨《うらや》んでゐた。而《さう》して其後任《そのこうにん》を自分《じぶん》で引受《ひきう》け度《た》く思《おも》ふてゐた。

       (九)

 三|月《ぐわつ》の末《すゑ》つ方《かた》、消《き》えがてなりし雪《ゆき》も、次第《しだい》に跡《あと》なく融《と》けた或夜《あるよ》、病院《びやうゐん》の庭《には》には椋鳥《むくどり》が切《しき》りに鳴《な》いてた折《をり》しも、院長《ゐんちやう》は親友《しんいう》の郵便局長《いうびんきよくちやう》の立歸《たちか》へるのを、門迄《もんまで》見送《みおく》らんと室《しつ》を出《で》た。丁度《ちやうど》其時《そのとき》、庭《には》に入《はひ》つて來《き》たのは、今《いま》しも町《まち》を漁《あさ》つて來《き》た猶太人《ジウ》のモイセイカ、帽《ばう》も被《かぶ》らず、跣足《はだし》に淺《あさ》い上靴《うはぐつ》を突掛《つツか》けたまゝ、手《て》には施《ほどこし》の小《ちひ》さい袋《ふくろ》を提《さ》げて。
『一|錢《せん》おくんなさい!』
と、モイセイカは寒《さむ》さに顫《ふる》へながら、院長《ゐんちやう》を見《み》て微笑《びせう》する。
 辭《じ》することの出來《でき》ぬ院長《ゐんちやう》は、隱《かくし》から十|錢《せん》を出《だ》して彼《かれ》に遣《や》る。
『これは可《よ》くない』と、院長《ゐんちやう》はモイセイカの瘠《や》せた赤《あか》い跣足《はだし》の踝《くるぶし》を見《み》て思《おも》ふた。
『路《みち》は泥濘《ぬか》つてゐると云《い》ふのに。』
 院長《ゐんちやう》は不覺《そゞろ》に哀《あは》れにも、又《また》不氣味《ぶきみ》にも感《かん》じて、猶太人《ジウ》の後《あと》に尾《つ》いて、其禿頭《そのはげあたま》だの、足《あし》の踝《くるぶし》などを※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みまは》しながら、別室《べつしつ》まで行《い》つた。小使《こづかひ》のニキタは相《あひ》も變《かは》らず、雜具《がらくた》の塚《つか》の上《うへ》に轉《ころが》つてゐたのであるが、院長《ゐんちやう》の入《はひ》つて來《き》たのに吃驚《びつくり》して跳起《はねお》きた。
『ニキタ、今日《こんにち》は。』
と、院長《ゐんちやう》は柔《やさ》しく彼《かれ》に挨拶《あいさつ》して。
『此《こ》の猶太人《ジウ》に靴《くつ》でも與《あた》へたら奈何《どう》だ、然《さ》うでもせんと風邪《かぜ》を引《ひ》く。』
『はツ、拜承《かしこ》まりまして御坐《ござ》りまする。直《すぐ》に會計《くわいけい》に然《さ》う申《まを》しまして。』
『然《さ》うして下《くだ》さい、お前《まへ》は會計《くわいけい》に私《わたし》がさう云《い》つたと云《い》つて呉《く》れ。』
 玄關《げんくわん》から病室《びやうしつ》へ通《かよ》ふ戸《と》は開《ひら》かれてゐた。イワン、デミトリチは寐臺《ねだい》の上《うへ》に横《よこ》になつて、肘《ひぢ》を突《つ》いて、さも心配《しんぱい》さうに、人聲《ひとごゑ》がするので此方《こなた》を見《み》て耳《みゝ》を欹《そばだ》てゝゐる。と、急《きふ》に來《き》た人《ひと》の院長《ゐんちやう》だと解《わか》つたので、彼《かれ》は全身《ぜんしん》を怒《いかり》に顫《ふる》はして、寐床《ねどこ》から飛上《とびあが》り、眞赤《まつか》になつて、激怒《げきど》して、病室《びやうしつ》の眞中《まんなか》に走《はし》り出《で》て突立《つゝた》つた。
『やあ、院長《ゐんちやう》が來《き》たぞ!』
 イワン、デミトリチは高《たか》く叫《さけ》んで、笑《わら》ひ出《だ》す。
『來《き》た々々! 諸君《しよくん》お目出《めで》たう、院長閣下《ゐんちやうかくか》が我々《われ/\》を訪問《はうもん》せられた! 此《こ》ン畜生《ちくしやう》め!』
と、彼《かれ》は聲《こゑ》を甲走《かんばし》らして、地鞴踏《ぢだんだふ》んで、同室《どうしつ》の者等《ものら》の未《いま》だ嘗《か》つて見《み》ぬ騷方《さわぎかた》。
『此《こ》ン畜生《ちくしやう》! やい毆殺《ぶちころ》して了《しま》へ! 殺《ころ》しても足《た》るものか、便所《べんじよ》にでも敲込《たゝきこ》め!』
 院長《ゐんちやう》のアンドレイ、エヒミチは玄關《げんくわん》の間《ま》から病室《びやうしつ》の内《なか》を覗込《のぞきこ》んで、物柔《ものやは》らかに問《と》ふので有《あ》つた。
『何故《なぜ》ですね?』
『何故《なぜ》だと。』と、イワン、デミトリチは嚇《おど》すやうな氣味《きみ》で、院長《ゐんちやう》の方《はう》に近寄《ちかよ》り、顫《ふる》ふ手《て》に病院服《びやうゐんふく》の前《まへ》を合《あは》せながら。
『何故《なぜ》かも無《な》いものだ! 此《こ》の盜人《ぬすびと》め!』
 彼《かれ》は惡々《にく/\》しさうに唾《つば》でも吐《は》つ掛《か》けるやうな口付《くちつ》きをして。
『此《こ》の山師《やまし》! 人殺《ひとごろ》し!』
『まあ、落着《おちつ》きなさい。』
と、アンドレイ、エヒミチは惡《わ》るかつたと云《い》ふやうな顏付《かほつき》で云《い》ふ。
『可《よ》くお聽《き》きなさい、私《わたし》は未《ま》だ何《なん》にも盜《ぬす》んだ事《こと》もなし、貴方《あなた》に何《なに》も致《いた》したことは無《な》いのです。貴方《あなた》は何《なに》か間違《まちが》つてお出《いで》なのでせう、醜《ひど》く私《わたし》を怒《おこ》つてゐなさるやうだが、まあ落着《おちつ》いて、靜《しづ》かに、而《さう》して何《なに》を立腹《りつぷく》してゐなさるのか、有仰《おつしや》つたら可《い》いでせう。』
『だが何《なん》の爲《ため》に貴下《あなた》は私《わたし》を這麼《こんな》ところに入《い》れて置《お》くのです?』
『其《そ》れは貴君《あなた》が病人《びやうにん》だからです。』
『はあ、病人《びやうにん》、然《しか》し何《なん》百|人《にん》と云《い》ふ狂人《きやうじん》が自由《じいう》に其處邊《そこらへん》を歩《ある》いてゐるではないですか、其《そ》れは貴方々《あなたがた》の無學《むがく》なるに由《よ》つて、狂人《きやうじん》と、健康《けんかう》なる者《もの》との區別《くべつ》が出來《でき》んのです。何《なん》の爲《ため》に私《わたし》だの、そら此處《こゝ》にゐる此《こ》の不幸《ふかう》な人達計《ひとたちばか》りが恰《あだか》も獻祭《けんさい》の山羊《やぎ》の如《ごと》くに、衆《しゆう》の爲《ため》に此《こゝ》に入《い》れられてゐねばならんのか。貴方《あなた》を初《はじ》め、代診《だいしん》、會計《くわいけい》、其《そ》れから、總《すべ》て此《こ》の貴方《あなた》の病院《びやうゐん》に居《ゐ》る奴等《やつら》は、實《じつ》に怪《け》しからん、徳義上《とくぎじやう》に於《おい》ては我々共《われ/\ども》より遙《はるか》に劣等《れつとう》だ、何《なん》の爲《ため》に我々計《われ/\ばか》りが此《こゝ》に入《い》れられて居《を》つて、貴方々《あなたがた》は然《さ》うで無《な》いのか、何處《どこ》に那樣論理《そんなろんり》があります?』
『徳義上《とくぎじやう》だとか、論理《ろんり》だとか、那樣事《そんなこと》は何《なに》も有《あ》りません。唯《たゞ》場合《ばあひ》です。即《すなは》ち此處《こゝ》に入《い》れられた者《もの》は入《はひ》つてゐるのであるし、入《い》れられん者《もの》は自由《じいう》に出歩《である》いてゐる、其《そ》れ丈《だ》けの事《こと》です。私《わたし》が醫者《いしや》で、貴方《あなた》が精神病者《せいしんびやうしや》であると云《い》ふことに於《おい》て、徳義《とくぎ》も無《な》ければ、論理《ろんり》も無《な》いのです。詰《つま》り偶然《ぐうぜん》の場合《ばあひ》のみです。』
『那樣屁理屈《そんなへりくつ》は解《わか》らん。』
と、イワン、デミトリチは小聲《こゞゑ》で云《い》つて、自分《じぶん》の寐臺《ねだい》の上《うへ》に坐《すわ》り込《こ》む。
 モイセイカは今日《けふ》は院長《ゐんちやう》のゐる爲《ため》に、ニキタが遠慮《ゑんりよ》して何《なに》も取返《とりかへ》さぬので、貰《もら》つて來《き》た雜物《ざふもつ》を、自分《じぶん》の寐臺《ねだい》の上《うへ》に洗《あら》ひ浚《ざら》ひ廣《ひろ》げて、一つ/\並《なら》べ初《はじ》める。パンの破片《かけら》、紙屑《かみくづ》、牛《うし》の骨《ほね》など、而《さう》して寒《さむさ》に顫《ふる》へながら、猶太語《エヴレイご》で、早言《はやこと》に歌《うた》ふやうに喋《しやべ》り出《だ》す、大方《おほかた》開店《かいてん》でも爲《し》た氣取《きどり》で何《なに》かを吹聽《ふいちやう》してゐるので有《あ》らう。
『私《わたし》を此處《こゝ》から出《だ》して下《くだ》さい。』と、イワン、デミトリチは聲《こゑ》を顫《ふる》はして云《い》ふ。
『其《そ》れは出來《でき》ません。』
『如何云《どうい》ふ譯《わけ》で。其《
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