いてある珍《めづ》らしい事《こと》、現今《げんこん》は恁云《かうい》ふ思想《しさう》の潮流《てうりう》が認《みと》められるとかと話《はなし》を進《すゝ》めたが、イワン、デミトリチは頗《すこぶ》る注意《ちゆうい》して聞《き》いてゐた。が忽《たちま》ち、何《なに》か恐《おそろ》しい事《こと》でも急《きふ》に思《おも》ひ出《だ》したかのやうに、彼《かれ》は頭《かしら》を抱《かゝ》へるなり、院長《ゐんちやう》の方《はう》へくるりと背《せ》を向《む》けて、寐臺《ねだい》の上《うへ》に横《よこ》になつた。
『奈何《どう》かしましたか?』と、院長《ゐんちやう》は問ふ。
『もう貴方《あなた》には一|言《ごん》だつて口《くち》は開《き》きません。』
イワン、デミトリチは素氣《そつけ》なく云《い》ふ。『私《わたくし》に管《かま》はんで下《くだ》さい!』
『奈何《どう》したのです?』
『管《かま》はんで下《くだ》さいと云《い》つたら管《かま》はんで下《くだ》さい、チヨツ、誰《だれ》が那樣者《そんなもの》と口《くち》を開《き》くものか。』
院長《ゐんちやう》は肩《かた》を縮《ちゞ》めて溜息《ためいき》をしながら出《で》て行《ゆ》く、而《さう》して玄關《げんくわん》の間《ま》を通《とほ》りながら、ニキタに向《むか》つて云《い》ふた。
『此處邊《こゝら》を少《すこ》し掃除《さうぢ》したいものだな、ニキタ。酷《ひど》い臭《にほひ》だ。』
『拜承《かしこ》まりました。』と、ニキタは答《こた》へる。
『何《なん》と面白《おもしろ》い人間《にんげん》だらう。』と、院長《ゐんちやう》は自分《じぶん》の室《へや》の方《はう》へ歸《かへ》りながら思《おも》ふた。『此《こゝ》へ來《き》てから何年振《なんねんぶり》かで、恁云《かうい》ふ共《とも》に語《かた》られる人間《にんげん》に初《はじ》めて出會《でつくわ》した。議論《ぎろん》も遣《や》る、興味《きようみ》を感《かん》ずべき事《こと》に、興味《きようみ》をも感《かん》じてゐる人間《にんげん》だ。』
彼《かれ》は其後《そのゝち》讀書《どくしよ》を爲《な》す中《うち》にも、睡眠《ねむり》に就《つ》いてからも、イワン、デミトリチの事《こと》が頭《あたま》から去《さ》らず、翌朝《よくてう》眼《め》を覺《さま》しても、昨日《きのふ》の智慧《ちゑ》ある人間《にんげん》に遇《あ》つたことを忘《わす》れる事《こと》が出來《でき》なかつた、便宜《べんぎ》も有《あ》らばもう一|度《ど》彼《かれ》を是非《ぜひ》尋《たづ》ねやうと思《おも》ふてゐた。
(十)
イワン、デミトリチは昨日《きのふ》と同《おな》じ位置《ゐち》に、兩手《りやうて》で頭《かしら》を抱《かゝ》へて、兩足《りやうあし》を縮《ちゞ》めた儘《まゝ》、横《よこ》に爲《な》つてゐて、顏《かほ》は見《み》えぬ。
『や、御機嫌《ごきげん》よう、今日《こんにち》は。』院長《ゐんちやう》は六|號室《がうしつ》へ入《はひ》つて云《い》ふた。『君《きみ》は眠《ねむ》つてゐるのですか?』
『いや私《わたくし》は貴方《あなた》の朋友《ほういう》ぢや無《な》いです。』と、イワン、デミトリチは枕《まくら》の中《うち》へ顏《かほ》を愈※[#二の字点、1−2−22]《いよ/\》埋《うづ》めて云《い》ふた。『又《また》甚麼《どんな》に貴方《あなた》は盡力《じんりよく》仕《し》やうが駄目《だめ》です、もう一|言《ごん》だつて私《わたくし》に口《くち》を開《ひら》かせる事《こと》は出來《でき》ません。』
『變《へん》だ。』と、アンドレイ、エヒミチは氣《き》を揉《も》む。『昨日《きのふ》我々《われ/\》は那麼《あんな》に話《はな》したのですが、何《なに》を俄《にはか》に御立腹《ごりつぷく》で、絶交《ぜつかう》すると有仰《おつしや》るのです、何《なに》か其《そ》れとも氣《き》に障《さは》ることでも申《まを》しましたか、或《あるひ》は貴方《あなた》の意見《いけん》と合《あ》はん考《かんがへ》を云《い》ひ出《だ》したので?』
『いや、那樣《そんな》ら貴方《あなた》に云《い》ひませう。』と、イワン、デミトリチは身《み》を起《おこ》して、心配《しんぱい》さうに又《また》冷笑的《れいせうてき》に、ドクトルを見《み》るので有《あ》つた。『何《なに》も貴方《あなた》は探偵《たんてい》したり、質問《しつもん》をしたり、此《こゝ》へ來《き》て爲《す》るには當《あた》らんです。何處《どこ》へでも他《ほか》へ行《い》つて爲《し》た方《はう》が可《よ》いです。私《わたくし》はもう昨日《きのふ》貴方《あなた》が何《なん》の爲《ため》に來《き》たのかゞ解《わか》りましたぞ。』
『是《これ》は奇妙《きめう》な妄想《まうざう》を爲《し》たものだ。』と、院長《ゐんちやう》は思《おも》はず微笑《びせう》する。『では貴方《あなた》は私《わたくし》を探偵《たんてい》だと想像《さうざう》されたのですな。』
『左樣《さやう》。いや探偵《たんてい》にしろ、又《また》私《わたくし》に窃《ひそか》に警察《けいさつ》から廻《ま》はされた醫者《いしや》にしろ、何方《どちら》だつて同樣《どうやう》です。』
『いや貴方《あなた》は。困《こま》つたな、まあお聞《き》きなさい。』と、院長《ゐんちやう》は寐臺《ねだい》の傍《そば》の腰掛《こしかけ》に掛《か》けて責《せむ》るがやうに首《くび》を振《ふ》る。
『然《しか》し假《か》りに貴方《あなた》の云《い》ふ所《ところ》が眞實《しんじつ》として、私《わたくし》が警察《けいさつ》から廻《まは》された者《もの》で、何《なに》か貴方《あなた》の言《ことば》を抑《おさ》へやうとしてゐるものと假定《かてい》しませう。で、貴方《あなた》が其爲《そのため》に拘引《こういん》されて、裁判《さいばん》に渡《わた》され、監獄《かんごく》に入《い》れられ、或《あるひ》は懲役《ちようえき》に爲《さ》れるとして見《み》て、其《そ》れが奈何《どう》です、此《こ》の六|號室《がうしつ》にゐるのよりも惡《わる》いでせうか。此《こゝ》に入《い》れられてゐるよりも貴方《あなた》に取《と》つて奈何《どう》でせうか? 私《わたくし》は此《こゝ》より惡《わる》い所《ところ》は無《な》いと思《おも》ひます。若《も》し然《さ》うならば何《なに》を貴方《あなた》は那樣《そんな》に恐《おそ》れなさるのか?』
此《こ》の言《ことば》にイワン、デミトリチは大《おほい》に感動《かんどう》されたと見《み》えて、彼《かれ》は落着《おちつ》いて腰《こし》を掛《か》けた。
時《とき》は丁度《ちやうど》四|時過《じす》ぎ。毎《いつ》もなら院長《ゐんちやう》は自分《じぶん》の室《へや》から室《へや》へと歩《ある》いてゐると、ダリユシカが、麥酒《ビール》は旦那樣《だんなさま》如何《いかゞ》ですか、と問《と》ふ刻限《こくげん》。戸外《こぐわい》は靜《しづか》に晴渡《はれわた》つた天氣《てんき》である。
『私《わたくし》は中食後《ちゆうじきご》散歩《さんぽ》に出掛《でか》けましたので、些《ちよつ》と立寄《たちよ》りましたのです。もう全然《まるで》春《はる》です。』
『今《いま》は何月《なんぐわつ》です、三|月《ぐわつ》でせうか?』
『左樣《さよう》、三|月《ぐわつ》も末《すゑ》です。』
『戸外《そと》は泥濘《ぬか》つて居《を》りませう。』
『那樣《そんな》でも有《あ》りません、庭《には》にはもう小徑《こみち》が出來《でき》てゐます。』
『今頃《いまごろ》は馬車《ばしや》にでも乘《の》つて、郊外《かうぐわい》へ行《い》つたらさぞ好《い》いでせう。』と、イワン、デミトリチは赤《あか》い眼《め》を擦《こす》りながら云《い》ふ。『而《さう》して其《そ》れから家《うち》の暖《あたゝか》い閑靜《かんせい》な書齋《しよさい》に歸《かへ》つて……名醫《めいゝ》に恃《かゝ》つて頭痛《づつう》の療治《れうぢ》でも爲《し》て貰《も》らつたら、久《ひさ》しい間《あひだ》私《わたくし》はもうこの人間《にんげん》らしい生活《せいくわつ》を爲《し》ないが、其《それ》にしても此處《こゝ》は實《じつ》に不好《いや》な所《ところ》だ。實《じつ》に堪《た》へられん不好《いや》な所《ところ》だ。』
昨日《きのふ》の興奮《こうふん》の爲《ため》にか、彼《かれ》は疲《つか》れて脱然《ぐつたり》して、不好不好《いやいや》ながら言《い》つてゐる。彼《かれ》の指《ゆび》は顫《ふる》へてゐる。其顏《そのかほ》を見《み》ても頭《あたま》が酷《ひど》く痛《いた》んでゐると云《い》ふのが解《わか》る。
『暖《あたゝか》い閑靜《かんせい》な書齋《しよさい》と、此《こ》の病室《びやうしつ》との間《あひだ》に、何《なん》の差《さ》も無《な》いのです。』と、アンドレイ、エヒミチは云《い》ふた。『人間《にんげん》の安心《あんしん》と、滿足《まんぞく》とは身外《しんぐわい》に在《あ》るのではなく、自身《じしん》の中《うち》に在《あ》るのです。』
『奈何云《どうい》ふ譯《わけ》で。』
『通常《つうじやう》の人間《にんげん》は、可《い》い事《こと》も、惡《わる》い事《こと》も皆《みな》身外《しんぐわい》から求《もと》めます。即《すなは》ち馬車《ばしや》だとか、書齋《しよさい》だとかと、然《しか》し思想家《しさうか》は自身《じしん》に求《もと》めるのです。』
『貴方《あなた》は那樣哲學《そんなてつがく》は、暖《あたゝか》な杏《あんず》の花《はな》の香《にほひ》のする希臘《ギリシヤ》に行《い》つてお傳《つた》へなさい、此處《こゝ》では那樣哲學《そんなてつがく》は氣候《きこう》に合《あ》ひません。いやさうと、私《わたくし》は誰《たれ》かとヂオゲンの話《はなし》を爲《し》ましたつけ、貴方《あなた》とでしたらうか?』
『左樣《さやう》昨日《きのふ》私《わたくし》と。』
『ヂオゲンは勿論《もちろん》書齋《しよさい》だとか、暖《あたゝか》い住居《すまゐ》だとかには頓着《とんぢやく》しませんでした。是《これ》は彼《か》の地《ち》が暖《あたゝか》いからです。樽《たる》の中《うち》に寐轉《ねころが》つて蜜柑《みかん》や、橄欖《かんらん》を食《た》べてゐれば其《そ》れで過《すご》される。然《しか》し彼《かれ》をして露西亞《ロシヤ》に住《すま》はしめたならば、彼《かれ》必《かなら》ず十二|月《ぐわつ》所《どころ》ではない、三|月《ぐわつ》の陽氣《やうき》に成《な》つても、室《へや》の内《うち》に籠《こも》つてゐたがるでせう。寒氣《かんき》の爲《ため》に體《からだ》も何《なに》も屈曲《まが》つて了《しま》ふでせう。』
『いや寒氣《かんき》だとか、疼痛《とうつう》だとかは感《かん》じない事《こと》が出來《でき》るです。マルク、アウレリイが云《い》つた事《こと》が有《あ》りませう。「疼痛《とうつう》とは疼痛《とうつう》の活《い》きた思想《しさう》である、此《こ》の思想《しさう》を變《へん》ぜしむるが爲《ため》には意旨《いし》の力《ちから》を奮《ふる》ひ、而《しか》して之《これ》を棄《す》てゝ以《もつ》て、訴《うつた》ふる事《こと》を止《や》めよ、然《しか》らば疼痛《とうつう》は消滅《せうめつ》すべし。」と、是《これ》は可《よ》く言《い》つた語《ことば》です、智者《ちしや》、哲人《てつじん》、若《も》しくは思想家《しさうか》たるものゝ、他人《たにん》に異《ことな》る所《ところ》の點《てん》は、即《すなは》ち此《こゝ》に在《あ》るのでせう、苦痛《くつう》を輕《かろ》んずると云《い》ふ事《こと》に。是《こゝ》に於《おい》てか彼等《かれら》は常《つね》に滿足《まんぞく》で、何事《なにごと》にも又《また》驚《おどろ》かぬのです。』
『では私《わたくし》などは徒《いたづら》に苦《くるし》み、不滿《ふまん》を鳴《なら》し、人間《にんげん》の卑劣《ひれつ》に驚《おどろ》
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