ぐさ》は、皆《みな》ロシヤの怠惰者《なまけもの》に適當《てきたう》してゐる哲學《てつがく》です。で、貴方《あなた》は恁《か》うなのだ、先《ま》づ齒《は》が痛《いた》むと云《い》ふ農婦《のうふ》が來《く》る……と、其《そ》れが奈何《どう》したのだ。疼痛《とうつう》は疼痛《とうつう》の事《こと》の思想《しさう》である。且又《かつまた》、病氣《びやうき》が無《な》くては此《こ》の世《よ》に生《い》きて行《ゆ》く譯《わけ》には行《ゆ》かぬものだ。早《はや》く歸《かへ》るべし。俺《おれ》の思想《しさう》とヴオツカを呑《の》む邪魔《じやま》を爲《す》るな。と恁《か》う云《い》ふでせう。又《また》或《ある》若者《わかもの》が來《き》て奈何云《どうい》ふ風《ふう》に生活《せいくわつ》を爲《し》たら可《い》いかと相談《さうだん》を掛《か》けられる、と、他人《たにん》は先《ま》づ一|番《ばん》考《かんが》へる所《ところ》で有《あ》らうが、貴方《あなた》には其答《そのこたへ》はもう丁《ちやん》と出來《でき》てゐる。解悟《かいご》に向《むか》ひなさい、眞正《しんせい》の幸福《かうふく》に向《むか》ひなさい。と恁《かう》云《い》ふです。我々《われ/\》を這麼格子《こんなかうし》の内《うち》に監禁《かんきん》して置《お》いて苦《くる》しめて、而《さう》して是《これ》は立派《りつぱ》な事《こと》だ、理屈《りくつ》の有《あ》る事《こと》だ、奈何《いかん》となれば此《こ》の病室《びやうしつ》と、暖《あたゝか》なる書齋《しよさい》との間《あひだ》に何《なん》の差別《さべつ》もない。と、誠《まこと》に都合《つがふ》の好《い》い哲學《てつがく》です。而《さう》して自分《じぶん》を哲人《ワイゼ》と感《かん》じてゐる……いや貴方《あなた》是《これ》はです、哲學《てつがく》でもなければ、思想《しさう》でもなし、見解《けんかい》の敢《あへ》て廣《ひろ》いのでも無《な》い、怠惰《たいだ》です。自滅《じめつ》です。睡魔《すゐま》です! 左樣《さやう》!』と、イワン、デミトリチは昂然《かうぜん》として『貴方《あなた》は苦痛《くつう》を輕蔑《けいべつ》なさるが、試《こゝろみ》に貴方《あなた》の指《ゆび》一|本《ぽん》でも戸《と》に挾《はさ》んで御覽《ごらん》なさい、然《さ》うしたら聲《こゑ》限《かぎ》り叫《さけ》ぶでせう。』
『或《あるひ》は叫《さけ》ばんかも知《し》れません。』と、アンドレイ、エヒミチは言《い》ふ。
『那樣事《そんなこと》は無《な》い、例《たと》へば御覽《ごらん》なさい、貴方《あなた》が中風《ちゆうぶ》にでも罹《かゝ》つたとか、或《あるひ》は假《かり》に愚者《ぐしや》が自分《じぶん》の位置《ゐち》を利用《りよう》して貴方《あなた》を公然《こうぜん》辱《はづか》しめて置《お》いて、其《そ》れが後《のち》に何《なん》の報《むくい》も無《な》しに濟《す》んで了《しま》つたのを知《し》つたならば、其時《そのとき》貴方《あなた》は他《た》の人《ひと》に、解悟《かいご》に向《むか》ひなさいとか、眞正《しんせい》の幸福《かうふく》に向《むか》ひなさいとか云《い》ふ事《こと》の効力《かうりよく》が果《はた》して、何程《なにほど》と云《い》ふことが解《わか》りませう。』
『これは奇拔《きばつ》だ。』と院長《ゐんちやう》は滿足《まんぞく》の餘《あま》り微笑《びせう》しながら、兩手《りやうて》を擦《こす》り/\云《い》ふ。『私《わたくし》は貴方《あなた》が總《すべ》てを綜合《そうがふ》する傾向《けいかう》を有《も》つてゐるのを、面白《おもしろ》く感《かん》じ且《か》つ敬服《けいふく》致《いた》したのです、又《また》貴方《あなた》が今《いま》述《の》べられた私《わたくし》の人物評《じんぶつひやう》は、唯《たゞ》感心《かんしん》する外《ほか》は有《あ》りません。實《じつ》は私《わたくし》は貴方《あなた》との談話《だんわ》に於《おい》て、此上《このうへ》も無《な》い滿足《まんぞく》を得《え》ましたのです。で、私《わたくし》は貴方《あなた》のお話《はなし》を不殘《のこらず》伺《うかゞ》ひましたから、此度《こんど》は何卒《どうぞ》私《わたくし》の話《はなし》をもお聞《き》き下《くだ》さい。』
(十一)
恁《か》くて後《のち》、猶《なほ》二人《ふたり》の話《はなし》は一|時間《じかん》も續《つゞ》いたが、其《そ》れより院長《ゐんちやう》は深《ふか》く感動《かんどう》して、毎日《まいにち》、毎晩《まいばん》のやうに六|號室《がうしつ》に行《ゆ》くのであつた。二人《ふたり》は話込《はなしこ》んでゐる中《うち》に日《ひ》も暮《く》れて了《しま》ふ事《こと》が往々《まゝ》有《あ》る位《くらゐ》。イワン、デミトリチは初《はじ》めの中《うち》は院長《ゐんちやう》が野心《やしん》でも有《あ》るのでは無《な》いかと疑《うたが》つて、彼《かれ》に左右《とかく》遠《とほ》ざかつて、不愛想《ぶあいさう》にしてゐたが、段々《だん/\》慣《な》れて、遂《つひ》には全《まつた》く素振《そぶり》を變《か》へたので有《あ》つた。
然《しか》るに病院《びやうゐん》の中《うち》では院長《ゐんちやう》アンドレイ、エヒミチが六|號室《がうしつ》に切《しきり》に通《かよ》ひ出《だ》したのを怪《あやし》んで、其評判《そのひやうばん》が高《たか》くなり、代診《だいしん》も、看護婦《かんごふ》も、一|樣《やう》に何《なん》の爲《ため》に行《ゆ》くのか、何《なん》で數時間餘《すうじかんよ》も那麼處《あんなところ》にゐるのか、甚麼話《どんなはなし》を爲《す》るので有《あ》らうか、彼處《かしこ》へ行《い》つても處方書《しよはうがき》を示《しめ》さぬでは無《な》いかと、彼方《あつち》でも、此方《こつち》でも、彼《かれ》が近頃《ちかごろ》の奇《き》なる擧動《きよどう》の評判《ひやうばん》で持切《もちき》つてゐる始末《しまつ》。ミハイル、アウエリヤヌヰチは此頃《このごろ》では始終《しゞゆう》彼《かれ》の留守《るす》に計《ばか》り行《ゆ》く。ダリユシカは旦那《だんな》が近頃《ちかごろ》は定刻《ていこく》に麥酒《ビール》を呑《の》まず、中食迄《ちゆうじきまで》も晩《おく》れることが度々《たび/\》なので困却《こま》つてゐる。
或時《あるとき》六|月《ぐわつ》の末《すゑ》、ドクトル、ハヾトフは、院長《ゐんちやう》に用事《ようじ》が有《あ》つて、其室《そのへや》に行《い》つた所《ところ》、居《を》らぬので庭《には》へと探《さが》しに出《で》た。すると其處《そこ》で院長《ゐんちやう》は六|號室《がうしつ》で有《あ》ると聞《き》き、庭《には》から直《すぐ》に別室《べつしつ》に入《い》り、玄關《げんくわん》の間《ま》に立留《たちとゞま》ると、丁度《ちやうど》恁云《かうい》ふ話聲《はなしごゑ》が聞《きこ》えたので。
『我々《われ/\》は到底《たうてい》合奏《がつそう》は出來《でき》ません、私《わたくし》を貴方《あなた》の信仰《しんかう》に歸《き》せしむる譯《わけ》には行《ゆ》きませんから。』
と、イワン、デミトリチの聲《こゑ》。
『現實《げんじつ》と云《い》ふ事《こと》は全《まつた》く貴方《あなた》には解《わか》らんのです、貴方《あなた》は未嘗《いまだかつ》て苦《くるし》んだ事《こと》は無《な》いのですから。然《しか》し私《わたくし》は生《うま》れた其日《そのひ》より今日迄《こんにちまで》、絶《た》えず苦痛《くつう》を嘗《な》めてゐるのです、其故《それゆゑ》私《わたくし》は自分《じぶん》を貴方《あなた》よりも高《たか》いもの、萬事《ばんじ》に於《おい》て、より多《おほ》く精通《せいつう》してゐるものと認《みと》めて居《を》るです。ですから貴方《あなた》が私《わたくし》に教《をし》へると云《い》ふ場合《ばあひ》で無《な》いのです。』
『私《わたくし》は何《なに》も貴方《あなた》を自分《じぶん》の信仰《しんかう》に向《むか》はせやうと云《い》ふ權利《けんり》を主張《しゆちやう》はせんのです。』院長《ゐんちやう》は自分《じぶん》を解《わか》つて呉《く》れ人《て》の無《な》いので、さも殘念《ざんねん》と云《い》ふやうに。『然云《さうい》ふ譯《わけ》では無《な》いのです、其《そ》れは貴方《あなた》が苦痛《くつう》を嘗《な》めて、私《わたくし》が嘗《な》めないといふことではないのです。詮《せん》ずる所《ところ》、苦痛《くつう》も快樂《くわいらく》も移《うつ》り行《ゆ》くもので、那樣事《そんなこと》は奈何《どう》でも可《い》いのです。で、私《わたくし》が言《い》はうと思《おも》ふのは、貴方《あなた》と私《わたくし》とが思想《しさう》するもの、相共《あひとも》に思想《しさう》したり、議論《ぎろん》を爲《し》たりする力《ちから》が有《あ》るものと認《みと》めてゐるといふことです。縱令《たとひ》我々《われ/\》の意見《いけん》が何《ど》の位《くらゐ》違《ちが》つても、此《こゝ》に我々《われ/\》の一|致《ち》する所《ところ》があるのです。貴方《あなた》が若《も》し私《わたくし》が一|般《ぱん》の無智《むち》や、無能《むのう》や、愚鈍《ぐどん》を何《ど》れ程《ほど》に厭《いと》ふて居《を》るかと知《し》つて下《くだ》すつたならば、又《また》如何《いか》なる喜《よろこび》を以《もつ》て、恁《か》うして貴方《あなた》と話《はなし》をしてゐるかと云《い》ふ事《こと》を知《し》つて下《くだ》すつたならば! 貴方《あなた》は知識《ちしき》の有《あ》る人《ひと》です。』
ハヾトフは此時《このとき》少計《すこしばか》り戸《と》を開《あ》けて室内《しつない》を覗《のぞ》いた。イワン、デミトリチは頭巾《づきん》を被《かぶ》つて、妙《めう》な眼付《めつき》をしたり、顫《ふるへ》上《あが》つたり、神經的《しんけいてき》に病院服《びやうゐんふく》の前《まへ》を合《あ》はしたりしてゐる。院長《ゐんちやう》は其側《そのそば》に腰《こし》を掛《か》けて、頭《かしら》を垂《た》れて、凝《じつ》として心細《こゝろぼそ》いやうな、悲《かな》しいやうな樣子《やうす》で顏《かほ》を赤《あか》くしてゐる。ハヾトフは肩《かた》を縮《ちゞ》めて冷笑《れいせう》し、ニキタと見合《みあ》ふ。ニキタも同《おな》じく肩《かた》を縮《ちゞ》める。
翌日《よくじつ》ハヾトフは代診《だいしん》を伴《つ》れて別室《べつしつ》に來《き》て、玄關《げんくわん》の間《ま》で又《また》も立聞《たちぎゝ》。
『院長殿《ゐんちやうどの》、とう/\發狂《はつきやう》と御坐《ござ》つたわい。』と、ハヾトフは別室《べつしつ》を出《で》ながらの話《はなし》。
『主《しゆ》憐《あはれめ》よ、主《しゆ》憐《あはれめ》よ、主《しゆ》憐《あはれめ》よ!』と、敬虔《けいけん》なるセルゲイ、セルゲヰチは云《い》ひながら。ピカ/\と磨上《みがきあ》げた靴《くつ》を汚《よご》すまいと、庭《には》の水溜《みづたまり》を避《よ》け/\溜息《ためいき》をする。
『打明《うちあ》けて申《もを》しますとな、エウゲニイ、フエオドロヰチもう私《わたくし》は疾《と》うから這麼事《こんなこと》になりはせんかと思《おも》つてゐましたのさ。』
(十二)
其後《そのご》院長《ゐんちやう》アンドレイ、エヒミチは自分《じぶん》の周圍《まはり》の者《もの》の樣子《やうす》の、ガラリと變《かは》つた事《こと》を漸《やうや》く認《みと》めた。小使《こづかひ》、看護婦《かんごふ》、患者等《くわんじやら》は、彼《かれ》に往遇《ゆきあ》ふ度《たび》に、何《なに》をか問《と》ふものゝ如《ごと》き眼付《めつき》で見《み》る、行《ゆ》き過《す》ぎてからは私語《さゝや》く。折々《をり/\》庭《には》で遇《あ》ふ會計係《くわいけいがゝり》の小娘《こむすめ》の、彼《かれ》が愛
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