る。が、又《また》直《たゞち》に自分《じぶん》の云《い》ふ事《こと》を聽《き》く者《もの》は無《な》い、其《そ》の云《い》ふ事《こと》が解《わか》るものは無《な》いとでも考《かんが》へ直《なほ》したかのやうに燥立《いらだ》つて、頭《あたま》を振《ふ》りながら又《また》歩《ある》き出《だ》す。然《しか》るに言《い》はうと云《い》ふ望《のぞみ》は、終《つひ》に消《き》えず忽《たちまち》にして總《すべて》の考《かんがへ》を壓去《あつしさ》つて、此度《こんど》は思《おも》ふ存分《ぞんぶん》、熱切《ねつせつ》に、夢中《むちゆう》の有樣《ありさま》で、言《ことば》が迸《ほとばし》り出《で》る。言《い》ふ所《ところ》は勿論《もちろん》、秩序《ちつじよ》なく、寐言《ねごと》のやうで、周章《あわて》て見《み》たり、途切《とぎ》れて見《み》たり、何《なん》だか意味《いみ》の解《わか》らぬことを言《い》ふのであるが、何處《どこ》かに又《また》善良《ぜんりやう》なる性質《せいしつ》が微《ほのか》に聞《きこ》える、其言《そのことば》の中《うち》か、聲《こゑ》の中《うち》かに、而《さう》して彼《かれ》の瘋癲者《ふうてんしや》たる所《ところ》も、彼《かれ》の人格《じんかく》も亦《また》見《み》える。其意味《そのいみ》の繋《つな》がらぬ、辻妻《つじつま》の合《あ》はぬ話《はなし》は、所詮《しよせん》筆《ふで》にする事《こと》は出來《でき》ぬのであるが、彼《かれ》の云《い》ふ所《ところ》を撮《つま》んで云《い》へば、人間《にんげん》の卑劣《ひれつ》なること、壓制《あつせい》に依《よ》りて正義《せいぎ》の蹂躙《じうりん》されてゐること、後世《こうせい》地上《ちじやう》に來《きた》るべき善美《ぜんび》なる生活《せいくわつ》のこと、自分《じぶん》をして一|分《ぷん》毎《ごと》にも壓制者《あつせいしや》の殘忍《ざんにん》、愚鈍《ぐどん》を憤《いきどほ》らしむる所《ところ》の、窓《まど》の鐵格子《てつがうし》のことなどである。云《い》はゞ彼《かれ》は昔《むかし》も今《いま》も全《まつた》く歌《うた》ひ盡《つく》されぬ歌《うた》を、不順序《ふじゆんじよ》に、不調和《ふてうわ》に組立《くみたて》るのである。

       (二)

 今《いま》から大凡《おほよそ》十三四|年《ねん》以前《いぜん》、此《こ》の町《まち》の一|番《ばん》の大通《おほどほり》に、自分《じぶん》の家《いへ》を所有《も》つてゐたグロモフと云《い》ふ、容貌《ようばう》の立派《りつぱ》な、金滿《かねもち》の官吏《くわんり》が有《あ》つて、家《いへ》にはセルゲイ及《およ》びイワンと云《い》ふ二人《ふたり》の息子《むすこ》もある。所《ところ》が、長子《ちやうし》のセルゲイは丁度《ちやうど》大學《だいがく》の四|年級《ねんきふ》になつてから、急性《きふせい》の肺病《はいびやう》に罹《かゝ》り死亡《しばう》して了《しま》ふ。是《これ》よりグロモフの家《いへ》には、不幸《ふかう》が引續《ひきつゞ》いて來《き》てセルゲイの葬式《さうしき》の終《す》んだ一|週間《しうかん》目《め》、父《ちゝ》のグロモフは詐欺《さぎ》と、浪費《らうひ》との件《かど》を以《もつ》て裁判《さいばん》に渡《わた》され、間《ま》もなく監獄《かんごく》の病院《びやうゐん》でチブスに罹《かゝ》つて死亡《しばう》して了《しま》つた。で、其家《そのいへ》と總《すべて》の什具《じふぐ》とは、棄賣《すてうり》に拂《はら》はれて、イワン、デミトリチと其母親《そのはゝおや》とは遂《つひ》に無《む》一|物《ぶつ》の身《み》となつた。
 父《ちゝ》の存命中《ぞんめいちゆう》には、イワン、デミトリチは大學《だいがく》修業《しうげふ》の爲《ため》にペテルブルグに住《す》んで、月々《つき/″\》六七十|圓《ゑん》づゝも仕送《しおくり》され、何《なに》不自由《ふじいう》なく暮《くら》してゐたものが、忽《たちまち》にして生活《くらし》は一|變《ぺん》し、朝《あさ》から晩《ばん》まで、安値《あんちよく》の報酬《はうしう》で學科《がくくわ》を教授《けうじゆ》するとか、筆耕《ひつかう》をするとかと、奔走《ほんそう》をしたが、其《そ》れでも食《く》ふや食《く》はずの儚《はか》なき境涯《きやうがい》。僅《わづか》な收入《しうにふ》は母《はゝ》の給養《きふやう》にも供《きよう》せねばならず、彼《かれ》は遂《つひ》に此《こ》の生活《せいくわつ》には堪《た》へ切《き》れず、斷然《だんぜん》大學《だいがく》を去《さ》つて、古郷《こきやう》に歸《かへ》つた。而《さう》して程《ほど》なく或人《あるひと》の世話《せわ》で郡立學校《ぐんりつがくかう》の教師《けうし》となつたが、其《そ》れも暫時《ざ
前へ 次へ
全50ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
瀬沼 夏葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング