》で、申上《まをしあ》げたいと思《おも》ふのですが。』と、市役所員《しやくしよゐん》は居並《ゐなら》ぶ人々《ひと/″\》の挨拶《あいさつ》が濟《す》むと恁《か》う切《き》り出《だ》した。『あ、エウゲニイ、フエオドロヰチの有仰《おつしや》るには、本院《ほんゐん》の藥局《やくきよく》が狹隘《せまい》ので、之《これ》を別室《べつしつ》の一つに移轉《うつ》しては奈何《どう》かと云《い》ふのです。勿論《もちろん》是《これ》は雜作《ざふさ》も無《な》い事《こと》ですが、其《そ》れには別室《べつしつ》の修繕《しうぜん》を要《えう》すると云《い》ふ其事《そのこと》です。』
『左樣《さやう》、修繕《しうぜん》を致《いた》さなければならんでせう。』と、院長《ゐんちやう》は考《かんが》へながら云《い》ふ。『例《たと》へば隅《すみ》の別室《べつしつ》を藥局《やくきよく》に當《あ》てやうと云《い》ふには、私《わたくし》の考《かんがへ》では、極《ご》く少額《せうがく》に見積《みつも》つても五百|圓《ゑん》は入《い》りませう、然《しか》し餘《あま》り不生産的《ふせいさんてき》な費用《ひよう》です。』
 皆《みな》は少時《すこし》默《もく》してゐる。院長《ゐんちやう》は靜《しづか》に又《また》續《つゞ》ける。
『私《わたくし》はもう十|年《ねん》も前《まへ》から、さう申上《まをしあ》げてゐたのですが、全體《ぜんたい》此《こ》の病院《びやうゐん》の設立《たて》られたのは、四十|年代《ねんだい》の頃《ころ》でしたが、其時分《そのじぶん》は今日《こんにち》のやうな資力《しりよく》では無《な》かつたもので。然《しか》し今日《こんにち》の所《ところ》では病院《びやうゐん》は、確《たしか》に市《し》の資力《ちから》以上《いじやう》の贅澤《ぜいたく》に爲《な》つてゐるので、餘計《よけい》な建物《たてもの》、餘計《よけい》な役《やく》などで隨分《ずゐぶん》費用《ひよう》も多《おほ》く費《つか》つてゐるのです。私《わたくし》の思《おも》ふには、是丈《これだけ》の錢《ぜに》を費《つか》ふのなら、遣《や》り方《かた》をさへ換《か》へれば、此《こゝ》に二つの模範的《もはんてき》の病院《びやうゐん》を維持《ゐぢ》する事《こと》が出來《でき》ると思《おも》ひます。』
『では一つ遣《や》り方《かた》を換《か》へて御覽《ごらん》
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