り強《つよ》き勢力《せいりよく》を以《もつ》て、實際《じつさい》に反應《はんおう》するのです。貴方《あなた》は醫者《いしや》でおゐでて、如何《どう》して那麼譯《こんなわけ》がお解《わか》りにならんです。苦《くるしみ》を輕《かろ》んずるとか、何《なん》にでも滿足《まんぞく》してゐるとか、甚麼事《どんなこと》にも驚《おどろ》かんと云《い》ふやうになるのには、那《あれ》です、那云《あゝい》ふ状態《ざま》になつて了《しま》はんければ。』と、イワン、デミトリチは隣《となり》の油切《あぶらぎ》つた彼《か》の動物《どうぶつ》を差《さ》してさう云《い》ふた。『或《あるひ》は又《また》苦痛《くつう》を以《もつ》て自分《じぶん》を鍛錬《たんれん》して、其《そ》れに對《たい》しての感覺《かんかく》を恰《まる》で失《うしな》つて了《しま》ふ、言《ことば》を換《か》へて言《い》へば、生活《せいくわつ》を止《や》めて了《しま》ふやうなことに至《いた》らしめなければならぬのです。私《わたくし》は無論《むろん》哲人《てつじん》でも、哲學者《てつがくしや》でも無《な》いのですから。』と、更《さら》に激《げき》して。『ですから、那麼事《こんなこと》に就《つ》いては何《な》にも解《わか》らんのです。議論《ぎろん》する力《ちから》が無《な》いのです。』
『如何《どう》してなか/\、貴方《あなた》は立派《りつぱ》に議論《ぎろん》なさるです。』
『貴方《あなた》が例證《れいしよう》に引《ひ》きなすつたストア派《は》の哲學者等《てつがくしやら》は立派《りつぱ》な人達《ひとたち》です。然《しか》しながら彼等《かれら》の學説《がくせつ》は已《すで》に二千|年以前《ねんいぜん》に廢《すた》れて了《しま》ひました、もう一|歩《ぽ》も進《すゝ》まんのです、是《これ》から先《さき》、又《また》進歩《しんぽ》する事《こと》は無《な》い。如何《いかん》となれば是《これ》は現實的《げんじつてき》でない、活動的《くわつどうてき》で無《な》いからで有《あ》る。恁云《かうい》ふ學説《がくせつ》は、唯《たゞ》種々《しゆ/″\》の學説《がくせつ》を集《あつ》めて研究《けんきう》したり、比較《ひかく》したりして、之《これ》を自分《じぶん》の生涯《しやうがい》の目的《もくてき》としてゐる、極《きは》めて少數《せうすう》の人計《ひとばか》りに行
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