《おこな》はれて、他《た》の多數《たすう》の者《もの》は其《そ》れを了解《れうかい》しなかつたのです。苦痛《くつう》を輕蔑《けいべつ》すると云《い》ふ事《こと》は、多數《たすう》の人《ひと》に取《と》つたならば、即《すなは》ち生活《せいくわつ》其物《そのもの》を輕蔑《けいべつ》すると云《い》ふ事《こと》になる。如何《いかん》となれば、人間《にんげん》全體《ぜんたい》は、餓《うゑ》だとか、寒《さむさ》だとか、凌辱《はづかし》めだとか、損失《そんしつ》だとか、死《し》に對《たい》するハムレツト的《てき》の恐怖《おそれ》などの感覺《かんかく》から成立《なりた》つてゐるのです。此《こ》の感覺《かんかく》の中《うち》に於《おい》て人生《じんせい》全體《ぜんたい》が含《ふく》まつてゐるのです。之《これ》を苦《く》にする事《こと》、惡《にく》む事《こと》は出來《でき》ます。が、之《これ》を輕蔑《けいべつ》する事《こと》は出來《でき》んです。で有《あ》るから、ストア派《は》の哲學者《てつがくしや》は未來《みらい》を有《も》つ事《こと》が出來《でき》んのです。御覽《ごらん》なさい、世界《せかい》の始《はじめ》から、今日《こんにち》に至《いた》るまで、益※[#二の字点、1−2−22]《ます/\》進歩《しんぽ》して行《ゆ》くものは生存競爭《せいぞんきやうさう》、疼痛《とうつう》の感覺《かんかく》、刺戟《しげき》に對《たい》する反應《はんおう》の力《ちから》などでせう。』と、イワン、デミトリチは俄《にはか》に思想《しさう》の聯絡《れんらく》を失《うしな》つて、殘念《ざんねん》さうに額《ひたひ》を擦《こす》つた。
『何《なに》か肝心《かんじん》なことを云《い》はうと思《おも》つて出《で》なくなつた。』
と、彼《かれ》は續《つゞ》ける。『其《そ》れぢや基督《ハリストス》でも例《れい》に引《ひ》きませう、基督《ハリストス》は泣《な》いたり、微笑《びせう》したり、悲《かなし》んだり、怒《おこ》つたり、憂《うれひ》に沈《しづ》んだりして、現實《げんじつ》に對《たい》して反應《はんおう》してゐたのです。彼《かれ》は微笑《びせう》を以《もつ》て苦《くるしみ》に對《むか》はなかつた、死《し》を輕蔑《けいべつ》しませんでした、却《かへ》つて「此《こ》の杯《さかづき》を我《われ》より去《さ》らしめよ」と云《い
前へ 次へ
全99ページ中58ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
瀬沼 夏葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング