れる。一同はぴたっと沈黙する。そして申しあわせたように、教室の後方に頭をめぐらす。みんなの視線の集まるところに、屁えこき虫の石太郎が、てれた顔をつくえに近くさげて、左右にすこしずつゆすっているのである。
 その静寂《せいじゃく》の時間がやや長くつづくと、石だ、石だ、という声が、こんどはだれいうとなく、石太郎よりもっとも遠い一角より起こってくる。藤井先生は黒板のうらがわにかけてある竹のむちを持って、つかつかと石太郎のところへいき、いいかげんにしとけと、むちのえ[#「え」に傍点]で、石太郎のこめかみをこづかれる。そのときは先生も、石太郎と協力してとった古いたち[#「いたち」に傍点]の代で、一ぱいいけたことは、忘れていられるように見えるのである。
 こういう情景は、もうなんどくり返されたかしれない。いつも判でおしたかのごとく同じ順序で。
 秋もはじめのころの、学校の前の松の木山のうれに、たくさんのからすがむれて、そのやかましく鳴きたてる声が、勉強のじゃまになる、ある晴れた日の午後であった。
 春吉君たちは、六時間めの手工《しゅこう》をしていた。その日の手工は、かわら屋の森一君がバケツ一ぱい持ってきたねんどで、思い思いの細工《さいく》をするのである。
 春吉君は茶のみ茶わんをつくっていた。ほんとうの茶わんのように、土をうすく、しかも正しい円形につくることは、なかなかよういではない。すでになんべんも、できあがった茶わんが意にみたず、ひねりつぶし、またはじめからやりなおしていた。そしてついに、こんどこそはと思われる逸品《いっぴん》ができあがりつつあった。春吉君は、細心の注意をはらって、竹べらをぬらしては、茶わんのはらの凹凸《おうとつ》をならしていった。
 すっかり茶わんに心をうばわれ、ほかの、いっさいのことを忘れていたが、ふとわれに返った春吉君は、「しまった」と思った。朝からすこし腹ぐあいがわるく、なにか重いものが下腹いったいにつまっている感じで、ときどき、ぷつぷつと豆のにえるような音もしていたので、ゆだんすると屁《へ》をするぞと、心をいましめていたのだが、ついに、しごとに熱中していて、今その屁を音もたてずにしてしまったのである。おかげで腹がかるくなったが、腹のかるくなるほどの屁というものは、はげしい臭気をともなっているはずだと、春吉君は思った。
 うまくだれも気づかずにいてくれればよいがと、春吉君はひそかに願った。ならびの席にいる源五兵衛《げんごべえ》君は、鼻じるをすすりながら、ぶかっこうに大きな動物――たぶん、かめだろうと思われるが、ともかく四足動物の四本めの足をくっつけようと努力している。うしろの照次郎君も、与之助《よのすけ》君も、それぞれの制作に余念がない。
 すこし時間がたった。春吉君はたすかったと思った。と、そのせつな、古手屋の遠助が、あ、くせ、と、第一声をはなった。すぐに、くせえ、くせえ、という声が、四方に伝わった。春吉君は、はずかしさで顔がほてってきた。
 いつもと同じさわぎがはじまった。屁えこき虫の石太郎が屁をはなったときと、寸分《すんぶん》ちがわぬことが。
 春吉君は、どうしていいのかわからない。もう、なりゆきにまかすばかりだ。
 やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁《だいこんなっぺ》だといった。なんという鋭敏《えいびん》な嗅覚《きゅうかく》だろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。
 やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、
「だれだっ」
とどなられた。春吉君は意味もなくねんどをひねりながら、いきをのんて、面《おもて》をふせた。みんなの視線が、ちょうどいつも石太郎の上に蝟集《いしゅう》するように、きょうは、じぶんにそそがれているのだと思いながら。
 いまにどこからか、春吉君だという声が起こってくるにそういない、と思った。そういうふうにすっかり観念《かんねん》していたので、石だ、石だ、というあやまった声があがったときには、じぶんの頭上に落ちてくるはずのげんこつが、わきにそれたように、ほっとしたきみょうな感じになった。
 顔をあげてみると、意外にも、みんなの視線は、春吉君に集中されておらず、やはり石太郎の方にむいているのだ。
 藤井先生が、黒板のうらにかかっているむちをとって、つかつかと石太郎の前に歩いていかれる。春吉君の心の底から、正義感がむくっと起きてきた。じぶんだといってしまおうか、しかし、だれひとり、じぶんをうたがってはいないのである。ここで白状するのは、なんともはずかしい。先生が石太郎の席に達するまでのみじかい時間を、春吉君の中で正義感と羞恥心《しゅうちしん》とが、めまぐるしい闘争をした。それが春吉君の動悸《どうき》を、鼓膜《こまく》にドキッドキッとひびくほ
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