、と思って、一時間くらいじきすごしてしまいます。するとちょうど日ぐれになりますから、「ま、こうなりゃ月が出るまで待っていよう。暗い道を帰るよりましだから」と、またすわりなおしてしまいます。
 ほんとうに、そのうち月が出ます。野原は菜《な》の花のさいているじぶんにしろ、稲の苗のうわったじぶんにしろ、月が出れば、明るくて美しいものです。しかし月が出ても出なくても、もう和太郎さんには、どうでもいいことです。というのは和太郎さんは、そのころまでにひどくよっぱらってしまうので、目などはっきりあけてはいられないからです。
 それがしょうこに、和太郎さんは、牛と松の木の、区別がつかないのです。ですから、松の木にまきつけた綱《つな》をさがすつもりで、牛の腹をいつまでもなでまわしたりします。しかたがないので、茶屋のおよしばあさんが、手綱《たづな》をといてやります。そのうえおよしばあさんは、小田原《おだわら》ちょうちんに火をともして、牛車の台のうしろにつるしてやります。なにしろ酒飲みは、平気でひとに世話をさせるものです。
 和太郎さんは、およしばあさんに世話をさせるばかりではありません。これから牛のお世話
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