持っていきなさい」
と、和太郎さんはいいました。
 お嫁さんはたくさんのおみやげをかかえこんで、戸口を出ていいました。
 「それじゃ、いってまいります」
 「ああいけや」と和太郎さんはいいました。
 「そうして、もう、ここへこなくてもよいぞや」
 お嫁さんはびっくりしました。しかしいくらお嫁さんがびっくりしたところで、和太郎さんの心は、もうかわりませんでした。
 こうして、和太郎さんはお嫁さんとわかれてしまいました。
 そののち、あちこちから、お嫁さんの話はありましたが、和太郎さんはもうもらいませんでした。ときどき、もういっぺんもらってみようか、と思うこともありましたが、壁を見ると、「やっぱり、よそう」と、考えがかわるのでした。
 しかし、お嫁さんをもらわない和太郎さんは、ひとつ残念《ざんねん》なことがありました。それは子どもがないということです。
 おかあさんは年をとって、だんだん小さくなっていきます。和太郎さんも、今は男ざかりですが、やがておじいさんになってしまうのです。牛もそのうちには、もっとしりがやせ、あばら骨がろくぼく[#「ろくぼく」に傍点]のようにあらわれ、ついには死ぬのです。そうすると、和太郎さんの家はほろびてしまいます。
 お嫁さんはいらないが、子どもがほしい、とよく和太郎さんは考えるのでありました。

       三

 人間はほかの人間からお世話になるとお礼をします。けれど、牛や馬からお世話になったときには、あまりいたしません。お礼をしなくても、牛や馬は、べつだん文句《もんく》をいわないからであります。だが、これは不公平な、いけないやり方である、と和太郎さんは思っていました。なにか、よぼよぼの牛のたいそう喜ぶようなことをして、日ごろお世話になっているお礼にしたいものだ、と考えていました。
 すると、そういうよいおりがやってきました。
 百姓《ひゃくしょう》ばかりの村には、ほんとうに平和な、金色《こんじき》の夕ぐれをめぐまれることがありますが、それは、そんな春の夕ぐれでありました。出そろって、山羊《やぎ》小屋の窓をかくしている大麦の穂の上に、やわらかに夕日の光が流れておりました。
 和太郎さんは、よぼよぼ牛に車をひかせて、町へいくとちゅうでした。
 和太郎さんは、いつもきげんがいいのですが、きょうはまたいちだんとはれやかな顔をしていました。酒《さか》だるをつんでいたからであります。
 酒だるを、となり村の酒屋から、町の酢屋《すや》まで、とどけるようにたのまれたのです。その中には、お酒のおり[#「おり」に傍点]がつまっていました。おり[#「おり」に傍点]というのは、お酒をつくるとき、たるのそこにたまる、乳色のにごったものであります。
 酒だるはゆれるたびに、どぼォン、どぼォン、と重たい音をたてました。そしてしずかな百姓の村の日ぐれに、お酒のにおいをふりまいていきました。
 和太郎さんは、はれやかな顔をしながら、いつもこういう荷物をたのまれたいものだ、音を聞いているだけでしゃば[#「しゃば」に傍点]の苦しみを忘れる、などと考えていました。するととつぜん、ぼんと音がしました。
 見ると、ひとつのたるのかがみ[#「かがみ」に傍点]板が、とんでしまい、ちょうど車が坂にかかって、かたむいていたので、白いおり[#「おり」に傍点]が滝《たき》のように流れ出していました。
 「こりゃ、こりゃ」
と和太郎さんはいいましたが、もうどうしようもありませんでした。おり[#「おり」に傍点]は地面にこぼれ、くぼんだところにたまって、いっそうぷんぷんとよいにおいをさせました。
 においをかいで、酒ずきの百姓や、年よりがあつまってきました。村のはずれに住んでいる、おトキばあさんまでやってきたところを見ると、おり[#「おり」に傍点]のにおいは、五町も流れていったにちがいありません。
 みんながあつまってきたとき、和太郎さんは車のまわりをうろうろしていました。
 「こりゃ、おれの罪じゃない。おり[#「おり」に傍点]というやつは、ゆすられるとふえるもんだ。牛車《ぎゅうしゃ》でごとごとゆすられてくるうちに、ふえたんだ。それに、このぬくとい陽気だから、よけいふえたんだ」
と和太郎さんは、旦那《だんな》にするいいわけを、村の人びとにむかっていいました。
 「そうだ、そうだ」
と人びとはあいづちをうちながら、道にたまった、たくさんのおり[#「おり」に傍点]をながめて、のどをならしました。
 「さて、こりゃ、どうしたものぞい。ほっときゃ土がすってしまうが」
と、年とった百姓がわらすべ[#「わらすべ」に傍点]をおり[#「おり」に傍点]にひたしては、しゃぶりながらいいました。
 ほんとに、ほっとけば土がすってしまう、とみんなが思いました。そのとき和太郎さんがい
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