くよ。さあいこう、にいさん。
母 危《あぶな》いとこへいくんじゃないよ。花火やよっぱらいのそばにいっちゃ、いけませんよ。そして、暗くならないうちに帰ってくるんですよ。
長男次男 うん。
長女 じゃ、よし坊ちゃん、いいもの買ってきたげるから、待ってらっしゃいね。
三男 やだい。ねえちゃんもいくの。ねえちゃん、いっちゃいやだ。
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長女、戸口のところで思案する。
長男、次男、出ていく。
母親、身ぶりでいきなさい、と長女に命ずる。
長女出ていく。すると、病気の子がまた「いやだ、ねえちゃんいっちゃいやだ」とさけぶのでいきかねている。
母は早くおいきと身ぶりで示す。ついに長女はすがたを消す。
病める子、急になきだす。
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母 さあ、なかないで、よし坊。ねえさん、じき帰ってきてくれるからね。おまえは、いい子だから、かあさんのいうことをきくんですよ。さあ、おとなしくねんねしましょう。そのうちにおはやしが、この辺までやってきますからね。いいでしょう、よし坊、おまえのすきな笛や太鼓《たいこ》がやってきますよ。
三男 うそだい。おはやしなんかここまできやしないや。塩屋さんとこまできて、あそこからまた帰っていっちゃうんだ。ぼく去年ついてきたからよく知ってら。
母 おや、そうかい。でも塩屋さんとこまでくれば、おはやしの音がよくきこえるから、いいじゃないかい。大太鼓の音が、どうんどうんてお家の障子《しょうじ》にひびいてくるよ。いいでしょう。
三男 かあちゃん。
母 なんだい。
三男 ぼくにも、祭の着物をきせてくれよ。
母 おまえさんは祭にいかないじゃないの。
三男 ぼくも祭の着物がきたいや。にいちゃんたちみんながきたんだもの。
母 そうかい。それじゃ、よし坊ちゃんにもきせてあげようね。
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(母親、たんすから一枚の晴着をとり出す)
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三男 それじゃないよ。そんなの学校にあがったとききたんだよ。
母 おや、かあさん、忘れっぽいね。ではこれだね。
三男 うん。
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(母親きかえさしてやる)
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三男 かあちゃん。
母 なにさ。そんなにしげしげと。
三男 子どもがおとなになるってほんと?
母 ほんとですよ。みんながどんどん大きくなって、おとなになるんですよ。
三男 おかしいなあ。
母 おかしかありませんよ。よし坊ちゃんも、にいさんやねえさんたちも、おとなになるんですよ。
三男 いつのこと?
母 まだ十五年も二十年も先のことさ。
三男 いくつねるの?
母 さあ、千も万もねるんでしょう。
三男 おかあさんは、はじめからおとな?
母 おかあさんだって、はじめは子どもだったんだよ。おねえちゃんみたいだったときもあるし、もっと小さな赤ん坊だったこともあるのさ。
三男 いつのこと?
母 ずっとむかしのことさ。
三男 ふうん。おかしいなあ。かあさんは、はじめからおとなじゃなかったの?
母 そんなことありませんよ。どこのおかあさんでも、はじめは赤ん坊で、それから子どもになって、それから娘さんになって、それからお嫁にいって、それから子どもをうんで、そして、おかあさんになるのさ。
三男 (じぶんの腕を見て)ぼく、おとなになれるかしら。ぼく、おとなにならないよ。そんな気がするんだもの。
母 なれますよ。いまに、大きくじょうぶになりますよ。
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(長女だまってはいってきて戸口で立っている)
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母 おや、あやちゃん、いかなかったの?
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(長女うなずく)
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母 なにか忘れたの?
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(長女、首を横にふる)
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母 どうしたのさ。びっくりしたみたいに目を見はって。
長女 あたし、鐘撞堂《かねつきどう》の下んところから、帰ってきたの。
母 こっちへ、おいで。戸口のとこになんか立っていないで。まあ、どうしたのさ、息なんかきらして。どうして鐘撞堂のところから帰ってきたの?
長女 あたし、なんだか知らないわ。なんだか知らないけど走ってきたの。鐘撞堂のところまでいったら、一ぺんで帰りたくなったの。
母 へんな子だね。じゃあ、もうお祭にいかないの。
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(女の子うなずく)
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母 せっかくあそこまでいって、帰ってくることなんかないじゃないの。あそこからもうじき、お宮さんじゃありませんか。あとでいけばよかったって、知りませんよ。
長女 いいのよ、おかあさん。
母 それじゃあ、そんなとこに立ってないで、こっちへいらっしゃい。(病気の子どもに)よし坊はもうお薬を飲まなきゃいけませんね、まだあったかしら。おや、もうから[#「から」に傍点]ですね。それじゃあ、かあさんがお薬をとってきますから、よし坊ちゃんはねえさんと遊んでるね。
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(長女あがってきて、よし坊の枕《まくら》もとにすわる。母、用意をする)
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三男 かあさん、近道していくといいよ。
母 近道って? おまえお医者さんのお家へいく近道知ってるの?
三男 井戸車のある家と、めくらのじいさんのお家の間をとおっていくとね、杉《すぎ》の垣根《かきね》にあながあいてるからね、そこをくぐると、お医者さんちの裏だよ。垣根をくぐったときにね、頭に気をつけないと、物置からさがってる樋《とい》にぶつかるよ。
母 あきれた子だね。そんなとこをくぐって遊んだのかい。おかあさんは、そんなところはとおれませんよ。
三男 あそこからいくと、とても早いや。
長女 あそこはもうとおれないのよ。井戸車のお家とめくらのじいさんちの間に、からたちの垣根を結んじまったから。よし坊ちゃんはもう長い間見ないから、知らないんだわ。
母 ではいってきますよ。
三男 かあさん、お医者さん家のかどんとこで、去年の綿砂糖《わたざとう》のおじいさんが売ってたら、買ってきてね。
母 綿砂糖って?
三男 綿みたいになった砂糖だよ。
母 そんなものを、おまえはたべちゃいけないんですよ。かあさんが、卵を買ってきておいしく煮《に》てあげるからね。
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(病気の子、このあたりから力が衰える)
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三男 卵なんて、しょっちゅうたべてるんだもの、いやだい。
母 じゃ、お医者さまにきいてみて、たべていいっておっしゃったら、買ってきましょうね。
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(母親裏口から去る)
(花火の音)
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三男 いまの花火、きっと旗が出たよ。
長女 見てきましょうか。
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(長女|縁側《えんがわ》に出て空をあおぐ)
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長女 あら、ほんとうに旗が出たわ。雲の下を、北の方へ流れていくわ。……ああいま、学校のうしろの山の上ころよ。あら、山のてっぺんで、だれかが旗の方に手をふっててよ、……もう見えなくなっちゃった。
三男 山の上にだれがいるの?
長女 だれだかわからないわ。
三男 先生じゃないの。
長女 見えやしないわ、そんなことまで。
三男 だめだなあ、おねえさんの目なんか。
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(女の子、枕もとにすわる)
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三男 旗は、どこまでとんでくかなあ。
長女 やた村に、きっと落ちるわ。
三男 やた村で落ちないで、もっとどんどんとんでったらどこへいくんだろう。
長女 知らないわ、そんなこと。
三男 どっかの黒い海にいくよ。
長女 そうかしら。
三男 だめだなあ、おねえさんなんか。なんにも知らないや。
長女 知ってるわ、あたしだって。
三男 知らないや。
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(沈黙。すぐ近くでひばりが鳴きはじめる)
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三男 くに[#「くに」に傍点]ちゃんとこでもらった雛《ひな》を持っておいでよ。
長女 どうするの? よし坊ちゃんがねてる間に、もう餌《え》をやっといたわよ。
三男 もってこいよ。
長女 もってきてどうするのさ。にいさんたちに見つかると、とりあげられちまうわよ。
三男 にいちゃんたち、祭にいってら、ばか。
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(女の子、裏口から出ていって、すぐボール箱《ばこ》を持ってはいってくる)
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三男 箱《はこ》から出して、ぼくの手にのせてくれよ。
長女 だめよ、そんなことしちゃ。まだ弱いんだから、手にとったら死んでしまうわよ。
三男 いいんだったら。
長女 いやよ。あたしがくに[#「くに」に傍点]ちゃんとこのおじさんにいただいてきたのよ。この雛《ひな》は。
三男 だって、ぼくとふたりでだいじにしろっていったって、ねえさん、ぼくにいったじゃないか。
長女 …………
三男 ぼく、手にのせて見たいんだよ。
長女 あれ、うそよ。
三男 なんだい、うそなことあるもんか。くに[#「くに」に傍点]ちゃんとこのおじさん、ぼくとなかよしなんだもの。
長女 いいえ。うそよ。あたし、よし坊ちゃんを喜ばしてやろうと思って、うそいったのよ。ほんとうは、あたしだけにくれたんだわ。
三男 なんだい、ねえさんのうそつき。そんなら、そんなもの、殺しちゃうぞ。
長女 いやだわ、いやだわ。
三男 よこせ、よこせってば。
長女 よし坊ちゃん、いやよ、そんな顔しちゃ。
三男 よこせってば。ねえさんばか。あや子ばか。よこせってば。
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(女の子、策つきて箱から雛《ひな》をとり出して病気の子に渡す)
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長女 ね、お願いだから、殺さないでね……あっ、いけないわ、そんなににぎっちゃあ……こわいもんだから、足がぶるぶるふるえてるわ……もうはなして……よし坊ちゃん……もうはなしてよ、よし坊ちゃん……。
三男 ぼくの手にふるえが伝わってくるよ。軽いなあ。
長女 かあいそうだわ。足をもがいてるわ。そんなに持ってると、びっくらして死んじまうことよ。
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(病気の子そっと雛をもったまま、長く見ている)
(女の子安心する)
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長女 毛、やわらかいでしょ。
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病気の子、だまって雛をかえす。
女の子箱にしまって、裏口から出ていく。
はやしの音が近づいてくる。
微風《びふう》の中から桜の花びらが病気の子のわきに落ちる。病気の子は動かない。
女の子入ってくる。
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長女 おはやしがこっちへやってくるかね。
三男 塩屋さんとこまでくるきりだい。あそこからまた帰ってしまうんだ。
長女 あの太鼓《たいこ》ね、おキンちゃんとこのにいさんがたたいてるのよ。今年《ことし》はじめてだって
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