字下げ]
三男 かあちゃん。
母 なにさ。そんなにしげしげと。
三男 子どもがおとなになるってほんと?
母 ほんとですよ。みんながどんどん大きくなって、おとなになるんですよ。
三男 おかしいなあ。
母 おかしかありませんよ。よし坊ちゃんも、にいさんやねえさんたちも、おとなになるんですよ。
三男 いつのこと?
母 まだ十五年も二十年も先のことさ。
三男 いくつねるの?
母 さあ、千も万もねるんでしょう。
三男 おかあさんは、はじめからおとな?
母 おかあさんだって、はじめは子どもだったんだよ。おねえちゃんみたいだったときもあるし、もっと小さな赤ん坊だったこともあるのさ。
三男 いつのこと?
母 ずっとむかしのことさ。
三男 ふうん。おかしいなあ。かあさんは、はじめからおとなじゃなかったの?
母 そんなことありませんよ。どこのおかあさんでも、はじめは赤ん坊で、それから子どもになって、それから娘さんになって、それからお嫁にいって、それから子どもをうんで、そして、おかあさんになるのさ。
三男 (じぶんの腕を見て)ぼく、おとなになれるかしら。ぼく、おとなにならないよ。そんな気がするんだもの。
母 なれますよ。いまに、大きくじょうぶになりますよ。
[#ここから8字下げ]
(長女だまってはいってきて戸口で立っている)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
母 おや、あやちゃん、いかなかったの?
[#ここから8字下げ]
(長女うなずく)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
母 なにか忘れたの?
[#ここから8字下げ]
(長女、首を横にふる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
母 どうしたのさ。びっくりしたみたいに目を見はって。
長女 あたし、鐘撞堂《かねつきどう》の下んところから、帰ってきたの。
母 こっちへ、おいで。戸口のとこになんか立っていないで。まあ、どうしたのさ、息なんかきらして。どうして鐘撞堂のところから帰ってきたの?
長女 あたし、なんだか知らないわ。なんだか知らないけど走ってきたの。鐘撞堂のところまでいったら、一ぺんで帰りたくなったの。
母 へんな子だね。じゃあ、もうお祭にいかないの。
[#ここから8字下げ]
(女の子うなずく)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
母 せっかくあそこまでいって、帰ってくることなんかないじゃないの。あそこからもうじき、お宮さんじゃありませんか。あとでいけばよかったって、知りませんよ。
長女 いいのよ、おかあさん。
母 それじゃあ、そんなとこに立ってないで、こっちへいらっしゃい。(病気の子どもに)よし坊はもうお薬を飲まなきゃいけませんね、まだあったかしら。おや、もうから[#「から」に傍点]ですね。それじゃあ、かあさんがお薬をとってきますから、よし坊ちゃんはねえさんと遊んでるね。
[#ここから8字下げ]
(長女あがってきて、よし坊の枕《まくら》もとにすわる。母、用意をする)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
三男 かあさん、近道していくといいよ。
母 近道って? おまえお医者さんのお家へいく近道知ってるの?
三男 井戸車のある家と、めくらのじいさんのお家の間をとおっていくとね、杉《すぎ》の垣根《かきね》にあながあいてるからね、そこをくぐると、お医者さんちの裏だよ。垣根をくぐったときにね、頭に気をつけないと、物置からさがってる樋《とい》にぶつかるよ。
母 あきれた子だね。そんなとこをくぐって遊んだのかい。おかあさんは、そんなところはとおれませんよ。
三男 あそこからいくと、とても早いや。
長女 あそこはもうとおれないのよ。井戸車のお家とめくらのじいさんちの間に、からたちの垣根を結んじまったから。よし坊ちゃんはもう長い間見ないから、知らないんだわ。
母 ではいってきますよ。
三男 かあさん、お医者さん家のかどんとこで、去年の綿砂糖《わたざとう》のおじいさんが売ってたら、買ってきてね。
母 綿砂糖って?
三男 綿みたいになった砂糖だよ。
母 そんなものを、おまえはたべちゃいけないんですよ。かあさんが、卵を買ってきておいしく煮《に》てあげるからね。
[#ここから8字下げ]
(病気の子、このあたりから力が衰える)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
三男 卵なんて、しょっちゅうたべてるんだもの、いやだい。
母 じゃ、お医者さまにきいてみて、たべていいっておっしゃったら、買っ
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング