る児童文学も、見よう見まねで堕落したのである。今日の童話を読んで見るとその物語性の殆《ほと》んど存していないことに人は気付くだろう。自分の子供や生徒に、お話をきかせてやるため、あなた方がストオリイを探そうとして、百篇の今日の童話を読まれても、あなた方はただ失望の吐息をつかれるばかりであろう。こう私がいえば、或る童話作家たちは次のように私に反駁《はんばく》するかも知れない。「君は実演童話と創作童話を混同しているのではないか。ストオリイの面白味なら実演童話に求めたまえ。われわれの創作童話にそれを求めて来るのはお門違《かどちが》いである」。実際この通りのことを言っていた児童文芸家があった。しかし私には、そもそも実演童話と創作童話が全然別種なものでなければならぬ理由が肯《うなず》けないのである。何故口で語られる童話と紙に印刷される童話が全然別種なものとされねばならぬのか。私には紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。紙で読んで面白くない童話は口から聞かされても面白くない。口から聞かされてつまらない童話は紙で読んでもつまらなくないはずがない。このことは童話ばかりではなく、大人の小説について
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