ここをにげてください。まだ動くにはごむりでしょうが、一刻もぐずぐずしてはいられません。早くしてください。早く」
と、せきたてます。
 少佐は、もうどうやら歩けそうなので、これまでの礼をあつくのべ、てばやく服装をととのえて、紅倫《こうりん》の家を出ました。畑道に出て、ふりかえってみると、紅倫がせど[#「せど」に傍点]口から顔を出して、さびしそうに少佐のほうを見つめていました。少佐はまた、ひきかえしていって、大きな懐中時計《かいちゅうどけい》をはずして、紅倫の手ににぎらせました。
 だんだん暗くなっていく畑の上を、少佐は、身をかがめて、奉天をめあてに、野ねずみのようにかけていきました。

  三

 戦争がおわって、少佐も内地へかえりました。その後、少佐は退役して、ある都会の会社につとめました。少佐は、たびたび張《ちょう》親子を思い出して、人びとにその話をしました。張親子へはなんべんも手紙を送りました。けれども、先方ではそれが読めなかったのか、一どもへんじをくれませんでした。
 戦争がすんでから、十年もたちました。少佐は、その会社の、かなり上役《うわやく》になり、むすこさんもりっぱな青年に
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