川
新美南吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)薬屋《くすりや》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)子|山羊《やぎ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)へそ[#「へそ」に傍点]
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一
四人が川のふちまできたとき、いままでだまってついてくるようなふうだった薬屋《くすりや》の子の音次郎《おとじろう》君が、ポケットから大きなかきをひとつとり出して、こういった。
「川の中にいちばん長くはいっていたものに、これやるよ」
それを聞いた三人は、べつだんおどろかなかった。だまりんぼの薬屋の音次郎君は、きみょうな少年で、ときどきくちをきると、そのときみなで話しあっていることとはまるでべつの、へんてこなことをいうのがくせだったからである。三人は、なによりも、その賞品に注意をむけた。
つややかな皮をうすくむくと、すぐ水分の多いきび色の果肉があらわれてきそうな、形のよいかきである。みなはそれを、百匁《ひゃくめ》がきといっている。このへんでとれるかきのうちでは、いちばん大きいうまい種類である。音次郎君の家のひろい屋敷《やしき》には、かきや、みかんや、ざくろなど、子どものほしがるくだものの木がたくさんある。音次郎君がきみょうな少年であるにもかかわらず、友だちが音次郎君のところへ遊びにいくのは、くだものがもらえるからだ。
ところで、賞品のほうはまず申しぶんなしとして、川のほうはどうであろう。秋もすえにちかいことだから、水は流れてはいない。けれどこの川は、はばがせまいかわりに、赤土の川床《かわどこ》が深くえぐられていて、つめたい色にすんだ水が、かなり深くたたえられている。夏、水あびによくきたから、だいたい深さの見当はつくのである。へそ[#「へそ」に傍点]のへんまでくるだろう。
三人はちょっと顔を見あわせて、どうしようと目で相談したが、すぐ、やったろかと、やはり目で、話をまとめた。するともう、森医院の徳一《とくいち》君が、ズボンのバンドをゆるめはじめた。なにか、しがいのあるいたずらをするときのように、顔がかがやいている。ほらふき[#「ほらふき」に傍点]の兵太郎《へいたろう》君は着物だったので、まずかばんをはずして、しりまくりし、パンツをぬいだ。久助《きゅうすけ》君もおくれてはならぬと、ズボンをぬいで、緑と黄のまじった草の上にすてた。
ぬいでしまうと、へんに下がかるくなった。風が素足《すあし》にひえびえと感じられる。
徳一君を先頭に、川っぷちの草にすがりながら、川の中にすべりおりた。ひと足入れると、もう、ひざっこぶしの上まで、水がくるのである。
「つめたいなあ」
足から身内《みうち》にあがってくる冷気が、しぜんに三人にいわせるのであった。
かきがほしいだけではなかった。いまじぶん、おしりをまくって水にはいることが、おもしろいのだった。そこで三人は、上で見ている音次郎君にいわれるまでもなく、まん中あたりまではいっていった。案のとおりだった。水はひたひたとはいあがってきて、久助君のおへそ[#「おへそ」に傍点]の一センチばかり下でとまった。
三人は、むきあって立って、じぶんのへそをあらためてながめたり、ひとのへそを観察したり、じぶんたちのざま[#「ざま」に傍点]のおかしさにクスクスわらったりした。しかし、ものをいうと、歯がカチカチ鳴って、みょうに力が背中《せなか》に集まるような気がした。動くとつめたさがいっそうひどく感じられた。
しばらくみなだまっていた。どこかで、日ぐれの牛がさびしげに鳴いた。それをしお[#「しお」に傍点]に、徳一君がげんしゅくな表情になって、そろりそろりと岸の方へ動きだした。まだぬれていないところをなるべくぬらさぬように、ゆっくりいくのである。久助君と兵太郎君は顔を見あわせたが、もうわらわなかった。
久助君はふたりきりになると、このゆうぎはひどくばかげていると感じられたので、まだがまんすればできたのだが、勝ちを兵太郎君にゆずることにした。徳一君がしたように、そろりそろり岸の方へ歩みよって、草にすがって上にあがった。
草をふんで立つと、ひえのために、足のうらがしびれているのが、よくわかる。すぐ手ぬぐいで足から腰をふいて、パンツとズボンをはいた。からだがふるえているから、ズボンをはくときよろけていって、やはりズボンをはいている徳一君にぶつかった。
まだ兵太郎君は、川の中にはいっている。もう勝ちはかれにきまったのだから、なにも、やせがまんしているわけはないのだが、とくいなところをひとに見せたいのだろう。こういう点が、ほらふき[#「ほらふき」に傍点]の兵太郎君のばか[#「ばか」に傍点]なところであると、久助君は思って見ていた。兵太郎君は平気をよそおって、南の方をむいて立っていた。
負けたふたりはからかいたくなって、上から、
「がんばれッ、がんばれッ、兵タン」
と、声援《せいえん》した。音次郎君も、どういうつもりかそれに声をあわせた。
「かき、たべてしまおかよ」
と徳一君が、いたずらっぽい目を光らせながらささやいたとき、久助君は、そいつは兵太郎君がかわいそうだという気持ちと、そいつはおもしろいという気持ちがいっしょに動いた。兵太郎君をおこらせるのは、とてもおもしろいということを、これまでの経験で、みなよく知っているのである。
川の中の兵太郎君が、聞きつけて、
「こすいぞッ」
と、さけんだ。
そらもうはじまった。はやくしろ、はやくしろ。
徳一君がすばやく、音次郎君の手からかきをうばいとって、ひと口かぶりついた。案のじょう、きび色の美しい果肉があらわれた。それを徳一君からうけとると久助君は、徳一君のかじった反対側のほうを、大きくかじった。そして、あとをもとの音次郎君にわたした。すると、音次郎君もひと口かじったので、かれもまた、このいたずらに参加していることがわかった。
兵太郎君は、いまさらわめいても追っつかぬことを見てとった。かれは先のふたりのように、ゆっくり岸に近づいた。それから、ふちの草につかまった。けれど、つかまったままじっとしている。なにか思案《しあん》しているようすである。
こちらの三人は、顔を見あわせた。三人の顔から、ちゃめ気が、しばらくためらって、そしてぬけていった。しんとなった。
青ざめた顔を兵太郎君がしかめた。そして腹がいたいときのように、腰をおった。
「どうした、兵タン」
と徳一君が、おどおどしてきいた。
「あがってこいよ」
と、久助君もいっしょにいった。
それでも兵太郎君は、かた手で草につかまったまま、動こうとはしなかった。ほおげたの下の、ひとところ、チョークでもなすりつけたように白いのが、久助君の目にいたいたしくうつった。これはたいへんだと思った。
三人はよっていって、兵太郎君のつめたい手をにぎって上にひっぱりあげると、兵太郎君は死にかかりの人のように力なく、三人のなすがままになった。あがってきてもかれは、ベソをかいた顔つきで、ぼけんとつっ立っているので、三人はしまつをしてやらねばならなかった。徳一君と久助君は、めいめいの手ぬぐいを提供《ていきょう》して、兵太郎君のかた足ずつをふいた。音次郎君は、草の上からパンツをひろってきた。兵太郎君は、なにからなにまで、みな、ひとにさせた。ぼうしまでかぶせてもらった。
ところで、兵太郎君は、すっかり身じたくができたのに、歩きだそうとしなかった。ときどきいたみがおそうかのように、顔をしかめて腹のところからからだをおった。
あとの三人は、こまったなア、というように顔を見あわせた。しかし、ほんとうに兵太郎君のからだに故障ができたかどうか、三人は半信半疑だった。
というのは、兵太郎君はいぜんから、死んだふりや、腹のいたむまねが、ひじょうにうまかったからである。フットボールが飛んできて、兵太郎君の頭にあたりでもすると、かれはふらふらとよろめいて、地べたの上にところきらわずばったりたおれ、あたりどころが悪くて、自分はおだぶつしてしまったのだというようすをして見せるのであった。そのまねは、真にせまっていた。久助君はまだ、人間がフットボールにあたって死ぬところを見たことはないが、もしそういうことがあるならば、きっと兵太郎君がするとおりの所作《しょさ》をして死ぬだろうと思っていた。たびたび兵太郎君のまねにだまされたものでも、いったん兵太郎君が、死んだまねをしてたおれると、こんどこそほんとうに死んでしまったのではないかと思うのだった。そして、みながそろそろ心配しかけるころを見はからって、死んでいた兵太郎君は、ひやっ[#「ひやっ」に傍点]というようなさけび声をあげて、生き返ってくるのが常だったのである。
だからきょうも、あのて[#「て」に傍点]ではないかと、三人は思った。賞品のかきをせしめられたはらいせに、きょうのしばいはいつもより手がこんでいて、長いのではあるまいか。
しかし、じっさい顔の色がいつもより青い。それに、フットボールがあたったくらいのこととはちがって、かなり長く、下腹部《かふくぶ》をひやしたのである。病気になる可能性は、ほんとうにあるのである。
それなら、こりゃじぶんたちも同じように腹をひやしたのだから、同じようなことになるのではないかと、久助君は、こんどはじぶんの腹が心配になりだした。そう思うと、なんだかへそ[#「へそ」に傍点]の下の方がしくしくするみたいである。
「よし、おぶされッ」
と、徳一君は、しゃがんで背中《せなか》を兵太郎君の方にむけた。兵太郎君は力なくおぶさった。
音次郎君が徳一君のランドセルを持ち、久助君は、兵太郎君の足からぬげて落ちたきたないげたを持った。どさくさまぎれで地に落ちて砂にまみれた食いかけの百匁《ひゃくめ》がきを、久助君はポーンと川の中へけとばした。そして三人は出発した。
二
つぎの朝久助君は、山羊《やぎ》にえさをやるため、小屋の前へいって、ぬれた草を手でつかんだとき、きのうの川のできごとを思い出した。と同時に、兵太郎君はどうなったろうという心配が、重く心にのしかかってきた。
まもなくまた忘れてしまった。だが心配の重さだけは忘れているまも心にのこっていて、なんとなく不愉快《ふゆかい》であった。
七時半になると、いつものように家を出た。学校のうらてへむかって一直線に走っている細い道に出たとき、五十メートルほど前を、薬屋の音次郎君が、なにかつまらないことでも考えているように、拍手をしては右手を外の方へうっちゃりながら歩いていくのを見た。
久助君は、ふたりで心配をわかちあい、ひとりで苦しんでいることからまぬがれようと思って、走っていった。けれど音次郎君は、きのうのことなどまるで気にもかけていないようすであった。じぶんはとりこし苦労をしていたのかと久助君は思って、ほっとした。なんでもなかったんだ。
音次郎君は久助君といっしょになっても、あいかわらず拍手をつづけながら、じぶんひとりのつまらない考えを追って歩いていた。まもなくうしろから、ゴツゴツとランドセルの音をさせて、だれか走ってきた。森医院の徳一君である。このあいだ新調したばかりのぼうしのひさしを光らせながら、「おはよう」と、元気よく近づいてきた。そして、こうきいた。
「きょう、算術の宿題なかったかね」
徳一君もやはり、きのうのことなんか気にしていないのである。事実、なんでもないのだろう。この世には、そうかんたんに、できごと[#「できごと」に傍点]はおこらないのだ。
三人は教室にはいった。ほかのものはもう、たいていきている。教室の中にも十人ほどいる。そのなかには兵太郎君がいないことを、久助君はひと目でたしかめた。
兵太郎君の席は、徳一君のすぐとなりにあった。用具がそこにはいっているかと思ってそちらを見たとき、久助君は、徳一君もやはりそういう目つきで見ているのを発見した。のみならず、音次郎君もやはり、兵太郎君の席を見ていた。
みん
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