な、心のおくで、同じ心配をもっているのだと、久助君はわかった。
 徳一君が、ちょっと兵太郎君のつくえのふたをあけた。久助君は心臓《しんぞう》がどきつくのをおぼえた。中には、なにもはいっていなかった。
 その日から、兵太郎君は学校へこなくなってしまったのである。
 五日、七日、十日と、日はたっていったが、兵太郎君は学校へすがたを見せなかった。しかしだれひとり、兵太郎君のことをくちにするものがない。久助君は、それがふしぎだった。五年間もともに生活したものが、ふいにぬけていっても、あとのものたちは、なにごともなかったように平気でいるのである。だがこれがあたりまえのようにも思われた。
 久助君は、徳一君と音次郎君だけはじぶんと同じように、消えてしまった兵太郎君のことで心をいためていることはわかっていた。それだのに、この三人は、ひとことも、兵太郎君についていわないのであった。そればかりでなく、みょうにおたがいの目をおそれて、おたがいにさけあうようになった。
 さまざまに、久助君は思いまどった。たとえば、先生にいっさいのことをうちあけて、あやまってしまったらどうだろう。心がかるくなるのではあるまいか。しかし、あの川のことがもとで、じっさい兵太郎君は病気になったのなら、兵太郎君がそれをだまっているはずはない。おとうさんかおかあさんに、話したにそういあるまい。そうすれば、おとうさん、あるいはおかあさんの口から、先生のところへ情報はとどいているはずである。ひょっとすると、先生はもうなにもかもごぞんじなのかもしれない。それを、わざと知らんふりをしておられるのは、久助君たちが自首して出るのを待っておられるのではあるまいか。そんなふうに思って、知らず知らず首をすくめながら、先生の顔をうかがうこともあった。
 あるときは、自首したい衝動にひどくかられた。それはちょうど国史の時間であったが、いつもおもしろく聞ける国史の話が、心の中の煩悶《はんもん》のために、ちぎれちぎれになって、ちっともおもしろくないので、こんなになさけないめにあうのも、じぶんがひみつをもっているからだ、いってしまいさえすれば心は解放されるのだ、と思うと、とつじょ立ちあがって、
「先生、ぼくたち三人で、兵太郎君をだまして、病気にしたのです!」
と、さけびたくなった。しかし、平常とすこしも変わらないあたりの空気が、なぜかその衝動をおさえさせた。ま昼間、心もたしかなのに、久助君は、じぶんのすぐかたわらから、もうひとりの久助君が、すくっと立ちあがって、
「先生!」
といいはじめる幻影《げんえい》を、三ども四ども、はっきり見たのだった。耳がじいんとなって、両手にあせをにぎっていた。
 二カ月、三カ月とすぎた。まだ兵太郎君は、学校へすがたを見せない。そのあいだ、久助君は兵太郎君について、ほとんどなにも聞かなかった。ただ一ど、こういうことがあった。ある朝、久助君が教室にはいってくると、ちょうどいきちがいに、ふたりの級友が、つくえをひとつ、ろうかへさげ出していった。
「だれのだい」
と、なにげなくきくと、ひとりが、
「兵タンのだよ」
とこたえた。それだけであった。それからこういうことがもう一どあった。薬屋の音次郎君がある午後、うら門の外で久助君を待っていて、いまから兵タンのところへ薬を持っていくから、いっしょにいこうとさそった。久助君はびっくりしたが、同意して出かけた。薬は、アスピリンという、よく熱をとる薬だそうである。兵太郎君はかぜをひいたのがもとだから、このアスピリンで熱をとれば、すぐなおってしまうと、音次郎君は、医者のように自信をもっていった。ほんとうにそうだと、知らないくせに久助君も思った。それにしても、それほどよくきく薬なら、なぜもっと早く持っていってやらなかったのだろう。やがて、いつもは通らない村はずれの常念寺《じょうねんじ》の前にきた。常念寺の土塀《どべい》の西南のすみに、小さな家が土塀によりかかるように、(事実、すこしかたむいている)建っている。それが兵太郎君の家である。ふたりは、土塀にそって歩いていった。兵太郎君の家の前にきた。入口があいていて、中は暗い。人がいるのかいないのか、コトリとも音がしない。日のあたるしきいの上で、ねこが前あしをなめているばかりだ。ふたりの足はとまらなかった。むしろ、足ははやくなった。そして、通りすぎてしまい、それきりだったのである。
 久助君は、ほかの友だちとわらったり話したりするのが、きらいになった。そして、ひとりでぼんやりしていることが多かった。それから、ひどく忘れっぽくなった。なにかしかけて忘れてしまうようなことが多かった。いま手に持っていた本が、ふと気づくと、もう手になかった。どこにおいたか、いくら頭をしぼっても思い出せないというふうであった。お使いにいって、買うものを忘れてしまい、あてずっぽうに買って帰って、まるでラジオで聞く落語みたいだとわらわれたこともあった。
 もとから久助君は、どうかすると見なれた風景や人びとのすがたが、ひどく殺風景《さっぷうけい》にあじけなく見え、そういうもののなかにあって、じぶんのたましいが、ちょうど、いばらの中につっこんだ手のように、いためられるのを感じることがあったが、このごろはいっそうそれが多く、いっそうひどくなった。こんなつまらない、いやなところに、なぜ人間は生まれて、生きなければならぬのかと思って、ぼんやり庭の外の道をながめていることがあった。また、つめたい水にわずか五分ばかりはいっていただけで、病気にかかり死なねばならぬ(久助君には、兵太郎君が死ぬとしか思えなかった)人間というものが、いっそうみじめな、つまらないものに思えるのであった。
 三学期のおわりごろ、ついに兵太郎君が死んだということを、久助君は耳にした。べんとうのあと、久助君は教だんのわきで日なたぼっこをしていた。すると、むこうのすみで話しあっていた一団のなかから、
「兵タンが死んだげなぞ」
と、ひとりがいった。
「ほうけ」
と、ほかのものがいった。べつだん、おどろくふうも見えなかった。久助君もおどろかなかった。久助君の心は、おどろくには、くたびれすぎていたのだ。
「うらのわら小屋で死んだまねをしとったら、ほんとに死んじゃったげな」
と、はじめのひとりがいうと、ほかのものたちは明るくわらって、兵太郎君の死んだまねや腹痛《はらいた》のまねのうまかったことを、ひとしきり話しあった。
 久助君は、もう聞いていなかった。ああ、とうとうそうなってしまったのかと思った。そっとかた手を、ゆかの上の日なたにはわせてみると、じぶんの手はかさかさして、くたびれていて、悲しげに、みにくく見えた。

       三

 日ぐれだった。
 久助君のからだのなかに、ばくぜんとした悲しみがただよっていた。
 昼のなごりの光と、夜の先ぶれのやみとが、地上でうまくとけあわないような、みょうにちぐはぐな感じの、ひとときであった。
 久助君のたましいは、長い悲しみの連鎖《れんさ》のつづきを、くたびれはてながら旅人《たびびと》のようにたどっていた。
 六月の日ぐれの、びみょうな、そして豊富な物音が戸外にみちていた。それでいてしずかだった。
 久助君は目をひらいて、柱にもたれていた。なにかよいことがあるような気がした。いやいや、まだ悲しみはつづくのだという気もした。
 すると遠いざわめきのなかに、ひと声、子|山羊《やぎ》の鳴き声がまじったのを聞きとめた。久助君はしまったと思った。生まれてからまだ二十日《はつか》ばかりの子山羊を、昼間|川上《かわかみ》へつれていって、こん虫《ちゅう》を追っかけているうち、つい忘れてきてしまったのだ。しまった。それと同時に、子山羊はひとりで帰ってきたのだ[#「子山羊はひとりで帰ってきたのだ」に傍点]と確信をもって思った。
 久助君は、山羊小屋の横へかけだしていった。川上の方を見た。
 子山羊は、むこうからやってくる。
 久助君には、ほかのものはなにも目にはいらなかった。子山羊の白いかれんなすがただけが、――子山羊と自分の地点をつなぐ距離だけが見えた。
 子山羊は、立ちどまっては川っぷちの草をすこし食《は》み、またすこし走っては立ちどまり、無心に遊びながらやってくる。
 久助君は、むかえにいこうとは思わなかった。もうたしかにここまでくるのだ。
 子山羊は、電車道もこえてきたのだ。電車にもひかれずに。あの土手《どて》のこわれたところも、うまくわたったのだ。よく川に落ちもせずに。
 久助君は胸があつくなり、なみだが目にあふれ、ぽとぽとと落ちた。
 子山羊はひとりで帰ってきたのだ[#「子山羊はひとりで帰ってきたのだ」に傍点]。
 久助君の胸に、ことしになってからはじめての、春がやってきたような気がした。

       四

 久助君はもう、兵太郎君が死んではいない、きっと帰ってくる、という確信をもっていたので、あまりおどろかなかった。
 教室にはいると、そこに、――いつも兵太郎君のいたところに、洋服にきかえた兵太郎君が、白くなった顔でにこにこしながらこしかけていた。
 久助君は、じぶんの席へついてランドセルをおろすと、目を大きくひらいたまま、兵太郎君を見てつっ立っていた。そうするとしぜんに顔がくずれて、兵太郎君といっしょにわらいだした。
 兵太郎君は、海峡《かいきょう》のむこうの親せきの家にもらわれていったのだが、どうしてもそこがいやで、帰ってきたのだそうである。それだけ久助君はひとから聞いた。川のことがもとで、病気をしたのかしなかったのかは、わからなかった。だが、もうそんなことはどうでもよかった。兵太郎君は帰ってきたのだ。
 休けい時間に、兵太郎君が運動場へはだしでとび出していくのをまどから見たとき、久助君は、しみじみこの世はなつかしいと思った。そして、めったなことでは死なない人間の生命というものが、ほんとうにとうとく、美しく思われた。
 そこへもうひとつ思い出すことがあった。それは、きょ年の夏、兵太郎君と川あそびにいって、川からあがったばかりの、ぴかぴか光るおたがいのはだかんぼうを、おいしげった夏草の上でぶつけあい、くるいあって、たがいに際限《さいげん》もなくわらいころげたことだった。



底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年2月20日初版発行
   1974(昭和49)年1月30日12版発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:ゆうこ
2000年1月27日公開
2006年1月28日修正
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