君は平気をよそおって、南の方をむいて立っていた。
負けたふたりはからかいたくなって、上から、
「がんばれッ、がんばれッ、兵タン」
と、声援《せいえん》した。音次郎君も、どういうつもりかそれに声をあわせた。
「かき、たべてしまおかよ」
と徳一君が、いたずらっぽい目を光らせながらささやいたとき、久助君は、そいつは兵太郎君がかわいそうだという気持ちと、そいつはおもしろいという気持ちがいっしょに動いた。兵太郎君をおこらせるのは、とてもおもしろいということを、これまでの経験で、みなよく知っているのである。
川の中の兵太郎君が、聞きつけて、
「こすいぞッ」
と、さけんだ。
そらもうはじまった。はやくしろ、はやくしろ。
徳一君がすばやく、音次郎君の手からかきをうばいとって、ひと口かぶりついた。案のじょう、きび色の美しい果肉があらわれた。それを徳一君からうけとると久助君は、徳一君のかじった反対側のほうを、大きくかじった。そして、あとをもとの音次郎君にわたした。すると、音次郎君もひと口かじったので、かれもまた、このいたずらに参加していることがわかった。
兵太郎君は、いまさらわめいても追っつかぬことを見てとった。かれは先のふたりのように、ゆっくり岸に近づいた。それから、ふちの草につかまった。けれど、つかまったままじっとしている。なにか思案《しあん》しているようすである。
こちらの三人は、顔を見あわせた。三人の顔から、ちゃめ気が、しばらくためらって、そしてぬけていった。しんとなった。
青ざめた顔を兵太郎君がしかめた。そして腹がいたいときのように、腰をおった。
「どうした、兵タン」
と徳一君が、おどおどしてきいた。
「あがってこいよ」
と、久助君もいっしょにいった。
それでも兵太郎君は、かた手で草につかまったまま、動こうとはしなかった。ほおげたの下の、ひとところ、チョークでもなすりつけたように白いのが、久助君の目にいたいたしくうつった。これはたいへんだと思った。
三人はよっていって、兵太郎君のつめたい手をにぎって上にひっぱりあげると、兵太郎君は死にかかりの人のように力なく、三人のなすがままになった。あがってきてもかれは、ベソをかいた顔つきで、ぼけんとつっ立っているので、三人はしまつをしてやらねばならなかった。徳一君と久助君は、めいめいの手ぬぐいを提供《ていきょう》して、兵太郎君のかた足ずつをふいた。音次郎君は、草の上からパンツをひろってきた。兵太郎君は、なにからなにまで、みな、ひとにさせた。ぼうしまでかぶせてもらった。
ところで、兵太郎君は、すっかり身じたくができたのに、歩きだそうとしなかった。ときどきいたみがおそうかのように、顔をしかめて腹のところからからだをおった。
あとの三人は、こまったなア、というように顔を見あわせた。しかし、ほんとうに兵太郎君のからだに故障ができたかどうか、三人は半信半疑だった。
というのは、兵太郎君はいぜんから、死んだふりや、腹のいたむまねが、ひじょうにうまかったからである。フットボールが飛んできて、兵太郎君の頭にあたりでもすると、かれはふらふらとよろめいて、地べたの上にところきらわずばったりたおれ、あたりどころが悪くて、自分はおだぶつしてしまったのだというようすをして見せるのであった。そのまねは、真にせまっていた。久助君はまだ、人間がフットボールにあたって死ぬところを見たことはないが、もしそういうことがあるならば、きっと兵太郎君がするとおりの所作《しょさ》をして死ぬだろうと思っていた。たびたび兵太郎君のまねにだまされたものでも、いったん兵太郎君が、死んだまねをしてたおれると、こんどこそほんとうに死んでしまったのではないかと思うのだった。そして、みながそろそろ心配しかけるころを見はからって、死んでいた兵太郎君は、ひやっ[#「ひやっ」に傍点]というようなさけび声をあげて、生き返ってくるのが常だったのである。
だからきょうも、あのて[#「て」に傍点]ではないかと、三人は思った。賞品のかきをせしめられたはらいせに、きょうのしばいはいつもより手がこんでいて、長いのではあるまいか。
しかし、じっさい顔の色がいつもより青い。それに、フットボールがあたったくらいのこととはちがって、かなり長く、下腹部《かふくぶ》をひやしたのである。病気になる可能性は、ほんとうにあるのである。
それなら、こりゃじぶんたちも同じように腹をひやしたのだから、同じようなことになるのではないかと、久助君は、こんどはじぶんの腹が心配になりだした。そう思うと、なんだかへそ[#「へそ」に傍点]の下の方がしくしくするみたいである。
「よし、おぶされッ」
と、徳一君は、しゃがんで背中《せなか》を兵太郎君の方にむけた。兵太郎君は力なくおぶさった。
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