の悪そうな女中《じょちゅう》が、手に大きい皿《さら》を持って出て来たが、その時もまだ二人は、どうしたものかと思案《しあん》にくれて土間《どま》につったっていた。
 女中はつん[#「つん」に傍点]としたように皿を式台《しきだい》の上に置くと、
「おたべよ」と突慳貪《つっけんどん》にいって、少し身を退《ひ》き、立ったまま流しめに二人の方を見おろしていた。皿の中にはうまそうな昆布巻《こんぶまき》や、たつくりや、まだ何かが一ぱいあった。
「よばれていこうよ」と松次郎がいった。木之助もたべたくなったのでうんと答えて胡弓を弓と一しょにして式台の隅《すみ》の方へそっと置くと、女中は胡弓をじろりと見た。
 松次郎と木之助は、はやく女中がひっこんでくれないかなと思いながら、式台に腰をおろして腰の風呂敷包《ふろしきつつみ》をほどいた。中から竹皮に包まれた握り飯があらわれた。女中はそれも横目でじろりと見た。
 食べにかかると握り飯も御馳走《ごちそう》もすばらしく美味《うま》いので、女中のことなどそっちのけにしてむしゃむしゃ頬張《ほおば》った。女中はじっとそれを見ていたが、もう怺《こら》えられなくなったと見えて、
「まあ汚《きたな》い足」といった。松次郎と木之助は食べながら自分の足を見ると、ほんとに女中のいった通りだった。紺足袋《こんたび》の上に草鞋《わらじ》を穿《は》いていたが、砂埃《すなぼこり》で真白だった。二人は仕方ないので黙々と御馳走を手でつまんではたべた。
「まあ、乞食《こじき》みたい」。しばらくするとまた女中が刺すような声でいった。指の間にくっついた飯粒を舌の先でとりながら、木之助が松次郎を見ると、いかにも女中がいった通り松次郎は乞食の子のようにうすぎたなく見えた。松次郎もまた、木之助を見てそう思った。
「まあ、よく食べるわ、豚みたい」。木之助が五つ目の握飯をたべようとして口をあいたとき女中がまたいった。木之助は、ほんとにそうだと思って、ぱくりと喰《く》いついた。
「耳の中に垢《あか》なんかためて」。しばらくするとまた女中がいった。木之助は松次郎の耳の中を見ると、果《はた》して汚く垢がたまっていた。松次郎の方でも木之助の耳の中にたまっている垢をみとめた。
 やがて衝立《ついたて》の向うに、とんとんという足音が聞えて来ると、女中はついと身を翻《ひるがえ》して何処《どこ》かへ行ってしまい、代りにさっきの優しい主人があらわれた。
「どうだうまいか」といって、主人はそこにかがんだ。松次郎が胸に閊《つか》えたので拳《こぶし》でたたいていると、おやあいつ、お茶を持って来なかったんだな、いいつけといたのに、と呟《つぶや》いた。そのとき今の女中がお茶を持って来て、すました顔でそこへ置くとまたひっこんで行った。
「大きな握飯だな、いくつ持って来たんだ」と主人は一つ残った木之助のおむすびを見ていった。六つと木之助は答えた。この半白の頭をした男の人は、さっきより一層|親《したし》くなったように木之助には感じられた。
 木之助たちが喰《た》べ終って、「ご馳走《ちそう》さん」と頭をさげると、主人はなおも、いろんなことを二人に話しかけ、訊《たず》ねた。これから行く先だとか、家の職業だとか、大きくなったら何になるのだとか。木之助の胡弓は大層うまいとほめてくれた。木之助はうれしかった。「こんど来るときはもっと仰山《ぎょうさん》弾けるようにして来て、いろんな曲をきかしてくれや」といったので木之助は「ああ」といった。すると主人は袂《たもと》の底をがさごそと探《さが》していて紙の撚《ひね》ったのを二つ取り出し、一つずつ二人にくれた。
 二人は門の外に出るとすぐ紙を開いて見た。十銭玉が一つずつあらわれた。

       四

 木之助は、来る正月来る正月に胡弓をひきに町へいった。行けば必ずあの「味噌《みそ》溜《たまり》」と大きな板の看板のさがっている門をくぐった。主人はいつも変らず木之助を歓迎してくれ、御馳走をしてくれた。
 木之助は胡弓がしんから好きだったので、だんだんうまくなっていった。始めは牛飼から曲を教わったが、牛飼の知っている五つの曲はじき覚えてしまい、しかも木之助の方が上手《じょうず》にひけるようになった。するともう牛飼の家に習いにゆくのはやめて、別な曲を知っている人のところへ覚えにいった。隣の村、二つ三つ向うの村にでも、胡弓のうまい人があるということをきくと、昼間の仕事を早くしまって、その村まで出かけてゆき、熱心に頼んで新しい曲を覚えて来た。やがて木之助にも妻が出来、子供も出来たが、夜、木之助の弾《ひ》きならす胡弓の音が邪魔になって子供が寝つかないというときには、村の南の松林にはいっていって、明るい月の光で弾いた。そののんびり[#「のんびり」に傍点]した音色《ねいろ》は、何事かを一生懸命に物語っているように村人たちには聞えたのである。
 だが歳月は流れた。或《あ》る年の旧正月が来たとき、こんども松次郎と一しょに門附けにいこうと思った木之助が、前の晩松次郎の家にゆくと風呂《ふろ》にはいっていた松次郎はこういった。「もうこの頃《ころ》じゃ、門附けは流行《はや》らんでな。ことしあもう止《や》めよかと思うだ。五、六年前まであ、東京へ行った連中も旅費の外《ほか》に小金を残して戻って来たが、去年あたりは、何だというじゃないか、旅費が出なかったてよ」
「でも折角《せっかく》覚えた芸だで腐らせることもないよ、松つあん」と木之助は励ますようにいった。「東京は別だよ、場所(都会)の人間はあかんさ」
「だが、俺《おれ》たちも一昨年《おととし》、去年は駄目《だめ》だったじゃねえか。一日、足を棒にして歩いても一両なかっただもんな。乞食《こじき》でも知れてるよ」
 なおも木之助がすすめると、風呂の下を焚《た》いていた松次郎のお内儀《かみ》さんがいった。「木之さん、あんたは大人《おとな》しいから、たとい五十銭でも貰《もら》えば貰っただけ家へ持って来るからええけど、うちの人は呑《の》ん兵衛《べえ》で、貰ったのはみんな飲んでしまい、まだ足らんで、持っていった銭《ぜに》まで遣《つか》ってくるから困るよ。それで今年はもう止《や》めておくれやとわたしから頼んでいるだよ」
 一昨年の正月も去年の正月も、一日門附けしたあとで松次郎が、酒のきらいな木之助を居酒屋《いざかや》へつれこみ、自分一人で飲んで、ついにはぐでんぐでんに酔ってしまい、三里の夜道を木之助が抱くようにして帰って来たのを木之助は思い出した。
「一人じゃ行けんしなあ」と木之助が思案《しあん》しながらいうと、松次郎が風呂から出て、「うん。俺も子供の時分から旧正月といえば、門附けにいっとったで、今更やめたかないが、女房めがああいうし、実は、こないだ子供めが火箸《ひばし》で鼓を叩いているうち破ってしまっただよ。行くとなりゃ、あれも張りかえなきゃならぬしな」といった。
 木之助は仕方がないので一人でゆくことにきめた。自分の身についた芸を、松次郎のように生かそうとしないことは木之助には解らなかった。何故《なぜ》そんなことが平気で出来るのか考えて見ても解らなかった。いかにも年々門附けはすたれて来ている。しかし木之助の奏でる胡弓を、松次郎のたたく鼓を、その合奏を愛している人々が全部なくなったわけではないのだ。尠《すくな》くとも(と木之助はあの金持の味噌屋の主人のことを思った)、あの人は胡弓の音がどんなものかを知っている。
 翌朝木之助は早朝に起き、使いなれた胡弓を持って家を出た。道や枯草、藁積《わらぐま》などには白く霜《しも》が降《お》り、金色にさしてくる太陽の光が、よい一日を約束していたが、二十年も正月といえば欠かさず一緒に出かけた松次郎が、もうついてはいないことは一抹《いちまつ》の寂《さび》しさを木之助の心に曳《ひ》いた。
「木之さん、今年《ことし》も出かけるかな」。木之助が家の前の坂道をのぼって、広い県道に出たとき、村人の一人がそういって擦《す》れちがった。
「ああ、ちょっと行って来ますだ」と木之助が答えると、
「由《よし》さあも、熊《くま》さあも、金《きん》さあも、鹿《しか》あんも今年はもう行かねえそうだ。力《りき》やんと加平《かへい》が、行こか行くまいかと大分迷っとったがとにかくも一ぺん行って見ようといっとったよ」
 そういって村人は遠ざかっていった。

       五

 村を出はずれて峠道《とうげみち》にさしかかるといつものように背後からがらがらと音がして町へ通ってゆく馬車が駈《かけ》て来た。木之助は道のはたへ寄って馬車をやりすごそうと思った。馬車が前を通るとき馭者台《ぎょしゃだい》の上を見ると、木之助は、おやと意外に感じた。そこに乗っているのは長年|見馴《みな》れたあの金聾《かなつんぼ》の爺《じい》さんではなく、頭を時分《ときわ》けにした若い男であった。金聾の爺さんの息子《むすこ》に違いない。顔つき[#「つき」に傍点]がそっくり爺さんに似ていた。それにしてもあの爺さんはどうしたんだろう、あまり年とったので隠居したのだろうか。あるいは死んだのかも知れない。いずれにしても木之助は時の移りをしみじみ感じなければならなかった。
 しかしその年はまだ全然実入りがなかったのではなかった。金持ちの味噌屋はたのしみに最後に残しておいて、他《た》の家々を午前中|廻《まわ》った。お午《ひる》までに――木之助は何軒の家がお礼をくれたかはっきり覚えていた――十軒だった。そしてお礼のお銭《あし》は合計で十三銭だった。最後に味噌屋にゆくと、あの頃からはずっと年とって、今はいい老人になった御主人が、喘息《ぜんそく》で咳《せ》き入りながら玄関に出て来て、松次郎がいないのを見ると、おや、今日《きょう》はお前一人か、じゃまあ上にあがってゆっくりしてゆけと親切にいってくれた。木之助は始め辞退したが、あまり勧められるので立派な座敷にあがり、そこで所望《しょもう》されるままに、五つ六つの曲を弾《ひ》いた。主人はほんとうに懐《なつか》しいように、うむうむとうなずきながら胡弓に耳を傾けていたが、時々苦しそうな咳《せき》が続いて、胡弓の声の邪魔をした。いつものように御馳走になった上|多《た》ぶんのお礼を頂いて表に出ると、まだ日はかなり高かったがもう木之助には他をまわる気が起らなかった。味噌屋の主人にさえ聴いてもらえばそれで木之助はもう満足だったのである。
 それからまた数年たって門附けは益々《ますます》流行《はや》らなくなった。五、六年前までは、遠い越後《えちご》の山の中から来るという、角兵衛獅子《かくべえじし》の姿も、麦の芽が一寸|位《くらい》になった頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。木之助の村の胡弓弾きや鼓うちたちも、一人やめ二人やめして、旧正月が近づいたといっても以前のように胡弓のすすりなくような声は聞えず、ぱんぱんと寒い空気の中を村の外までひびく鼓の音も聞えなかった。これだけ世の中が開けて来たのだと人々はいう。人間が悧口《りこう》になったので、胡弓や鼓などの、間《ま》のびのした馬鹿らしい歌には耳を藉《か》さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということはどういうつまらぬ[#「つまらぬ」に傍点]ことだろう、と木之助は思ったのである。
 木之助の家では八十八歳まで生きた木之助の父親が、冬中ねていたが、恰度《ちょうど》旧の正月の朝、朝日がうらうらとお宮の森の一番高い檜《ひのき》の梢《こずえ》を照《てら》し出すころ、恰度天から与えられた生命を終って枯れる木のように、静かに死んでいった。そのために、数十年来一度も欠かさなかった胡弓の門附けを、この正月ばかりはやめなければならなかった。その翌年は、これはまた木之助自身が感冒を患《わずら》ってうごくことが出来なかった。味噌屋の御主人が、もう俺《おれ》が来るずらと思って待ってござるじゃろうに、と仰向《あおむけ》に寝ている木之助は、枕元《まくらもと》に坐《すわ》って看病している大きい娘にそ
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