、といった。
 木之助はお銭《あし》を持っていなかったので、
「おれ、一銭もないもん」というと、
「馬鹿《ばか》だな、ただ乗りするんだ」と言った。
 馬車は輪鉄《わがね》の音をやかましくあたりに響かせながら近附いて来た。いつもの、聾《つんぼ》の爺《じい》さんが馭者台《ぎょしゃだい》にのっていた。それは木之助の村から五里ばかり西の海ばたの町から、木之助の村を通って東の町へ、一日に二度ずつ通う馬車であった。木之助と松次郎は道のぐろにのいて馬車をやりすごした。
 馬車のうしろには、乗客が乗り下《お》りするとき足を掛ける小さい板がついていた。松次郎はそれにうまく跳《と》びついて、うしろ向きに腰をかけた。木之助の場所はもうなかったので木之助は馬車について走らなければならなかった。胡弓を持っているし、坂道なので木之助はふうふう言いながら走ったが、沢山《たくさん》走る必要はなかった。
 馬車は半町《はんちょう》もいかないうちにぴたととまってしまった。松次郎は慌《あわ》てて跳びおりた。ほっぽこ頭巾《ずきん》から眼《め》だけ出した馭者の爺さんが鞭《むち》を持って下りて来た。
「おれ、知らんげや、知らんげ
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