恰好《かっこう》の芸人だろう。だが木之助には恰好などはどうでもよかった。久しぶりに胡弓を弾きに出られることが非常なよろこびだったのだ。
 正月といっても村から町へゆく者はあまりなかった。道に積った雪の上の足跡《あしあと》でそれがわかる。二人の人間の足跡、自転車の輪のあとが二本、それに自動車の太いタイヤの跡が道の両側についていた。五、六年前から、馬車の代りに走るようになった乗合自動車《のりあいじどうしゃ》が朝早く通ったのである。
 陽《ひ》が生き物のように照っていた。道のわきの田んぼに烏《からす》が二羽おりているのが、白い雪の上にくっきり浮かんで見えた。静かだなあと思って木之助はとっとと歩いた。

       七

 町にはいった。
 木之助は一軒ずつ軒づたいに門附《かどづ》けをするようなことはやめた。自分の記憶をさぐって見て、いつも彼の胡弓をきいてくれた家だけを拾って行った。それも沢山《たくさん》はなく、味噌屋をいれて僅《わず》か五、六軒だったにすぎない。
 だがそれらの家々を廻《まわ》りはじめて四軒目に木之助は深く心の内に失望しなければならなかった。どの家も、申しあわせたように木之
前へ 次へ
全38ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング