解けて歩くに難儀だよ」と女房がいった。「そげに難儀して行ったところで、今時《いまどき》、胡弓など本気になって聴いてくれるものはありゃしないだよ」
 木之助は、女房のいう通りだと悲しく思った。だが、味噌屋の旦那《だんな》のことを頭にうかべて、
「まだ耳のある人はあるだ。世間は広いだよ」
と答えた。娘のおツタは待針《まちばり》でついた指の背を口にふくみながら、勝つあんもやめた、力さんもやめたと、門附けをやめてしまった人々の名をあげてしまいに「いつまででも芸だの胡弓だのいってるのはお父《とっ》つあん一人だよ。人が馬鹿だというよ」といった。
「こけ[#「こけ」に傍点]でもこけずき[#「こけずき」に傍点]でもええだ。聴いてくれる人が一人でもこの娑婆《しゃば》にあるうちは、俺《おれ》あ胡弓はやめられんよ」
 しばらくみんな黙っていた。竹藪でどさっと雪が落ちた。
「お父つあんも気の毒な人だよ」と女房がしんみりいった。
「もうちっと早くうまれて来るとよかっただ、お父つあん。そうすりゃ世間の人はみんな聴いてくれただよ。今じゃラジオちゅうもんがあるから駄目《だめ》さ」
 木之助は話しているうちに段々あきら
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