主人が、喘息《ぜんそく》で咳《せ》き入りながら玄関に出て来て、松次郎がいないのを見ると、おや、今日《きょう》はお前一人か、じゃまあ上にあがってゆっくりしてゆけと親切にいってくれた。木之助は始め辞退したが、あまり勧められるので立派な座敷にあがり、そこで所望《しょもう》されるままに、五つ六つの曲を弾《ひ》いた。主人はほんとうに懐《なつか》しいように、うむうむとうなずきながら胡弓に耳を傾けていたが、時々苦しそうな咳《せき》が続いて、胡弓の声の邪魔をした。いつものように御馳走になった上|多《た》ぶんのお礼を頂いて表に出ると、まだ日はかなり高かったがもう木之助には他をまわる気が起らなかった。味噌屋の主人にさえ聴いてもらえばそれで木之助はもう満足だったのである。
それからまた数年たって門附けは益々《ますます》流行《はや》らなくなった。五、六年前までは、遠い越後《えちご》の山の中から来るという、角兵衛獅子《かくべえじし》の姿も、麦の芽が一寸|位《くらい》になった頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。木之助の村の胡弓弾きや鼓うちたちも、一人やめ二人やめして、旧正月が近づいたといって
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