主人が、喘息《ぜんそく》で咳《せ》き入りながら玄関に出て来て、松次郎がいないのを見ると、おや、今日《きょう》はお前一人か、じゃまあ上にあがってゆっくりしてゆけと親切にいってくれた。木之助は始め辞退したが、あまり勧められるので立派な座敷にあがり、そこで所望《しょもう》されるままに、五つ六つの曲を弾《ひ》いた。主人はほんとうに懐《なつか》しいように、うむうむとうなずきながら胡弓に耳を傾けていたが、時々苦しそうな咳《せき》が続いて、胡弓の声の邪魔をした。いつものように御馳走になった上|多《た》ぶんのお礼を頂いて表に出ると、まだ日はかなり高かったがもう木之助には他をまわる気が起らなかった。味噌屋の主人にさえ聴いてもらえばそれで木之助はもう満足だったのである。
それからまた数年たって門附けは益々《ますます》流行《はや》らなくなった。五、六年前までは、遠い越後《えちご》の山の中から来るという、角兵衛獅子《かくべえじし》の姿も、麦の芽が一寸|位《くらい》になった頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。木之助の村の胡弓弾きや鼓うちたちも、一人やめ二人やめして、旧正月が近づいたといっても以前のように胡弓のすすりなくような声は聞えず、ぱんぱんと寒い空気の中を村の外までひびく鼓の音も聞えなかった。これだけ世の中が開けて来たのだと人々はいう。人間が悧口《りこう》になったので、胡弓や鼓などの、間《ま》のびのした馬鹿らしい歌には耳を藉《か》さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということはどういうつまらぬ[#「つまらぬ」に傍点]ことだろう、と木之助は思ったのである。
木之助の家では八十八歳まで生きた木之助の父親が、冬中ねていたが、恰度《ちょうど》旧の正月の朝、朝日がうらうらとお宮の森の一番高い檜《ひのき》の梢《こずえ》を照《てら》し出すころ、恰度天から与えられた生命を終って枯れる木のように、静かに死んでいった。そのために、数十年来一度も欠かさなかった胡弓の門附けを、この正月ばかりはやめなければならなかった。その翌年は、これはまた木之助自身が感冒を患《わずら》ってうごくことが出来なかった。味噌屋の御主人が、もう俺《おれ》が来るずらと思って待ってござるじゃろうに、と仰向《あおむけ》に寝ている木之助は、枕元《まくらもと》に坐《すわ》って看病している大きい娘にそ
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