いろ》は、何事かを一生懸命に物語っているように村人たちには聞えたのである。
だが歳月は流れた。或《あ》る年の旧正月が来たとき、こんども松次郎と一しょに門附けにいこうと思った木之助が、前の晩松次郎の家にゆくと風呂《ふろ》にはいっていた松次郎はこういった。「もうこの頃《ころ》じゃ、門附けは流行《はや》らんでな。ことしあもう止《や》めよかと思うだ。五、六年前まであ、東京へ行った連中も旅費の外《ほか》に小金を残して戻って来たが、去年あたりは、何だというじゃないか、旅費が出なかったてよ」
「でも折角《せっかく》覚えた芸だで腐らせることもないよ、松つあん」と木之助は励ますようにいった。「東京は別だよ、場所(都会)の人間はあかんさ」
「だが、俺《おれ》たちも一昨年《おととし》、去年は駄目《だめ》だったじゃねえか。一日、足を棒にして歩いても一両なかっただもんな。乞食《こじき》でも知れてるよ」
なおも木之助がすすめると、風呂の下を焚《た》いていた松次郎のお内儀《かみ》さんがいった。「木之さん、あんたは大人《おとな》しいから、たとい五十銭でも貰《もら》えば貰っただけ家へ持って来るからええけど、うちの人は呑《の》ん兵衛《べえ》で、貰ったのはみんな飲んでしまい、まだ足らんで、持っていった銭《ぜに》まで遣《つか》ってくるから困るよ。それで今年はもう止《や》めておくれやとわたしから頼んでいるだよ」
一昨年の正月も去年の正月も、一日門附けしたあとで松次郎が、酒のきらいな木之助を居酒屋《いざかや》へつれこみ、自分一人で飲んで、ついにはぐでんぐでんに酔ってしまい、三里の夜道を木之助が抱くようにして帰って来たのを木之助は思い出した。
「一人じゃ行けんしなあ」と木之助が思案《しあん》しながらいうと、松次郎が風呂から出て、「うん。俺も子供の時分から旧正月といえば、門附けにいっとったで、今更やめたかないが、女房めがああいうし、実は、こないだ子供めが火箸《ひばし》で鼓を叩いているうち破ってしまっただよ。行くとなりゃ、あれも張りかえなきゃならぬしな」といった。
木之助は仕方がないので一人でゆくことにきめた。自分の身についた芸を、松次郎のように生かそうとしないことは木之助には解らなかった。何故《なぜ》そんなことが平気で出来るのか考えて見ても解らなかった。いかにも年々門附けはすたれて来ている。しかし木之助の
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