晩げに下駄屋さんから新しい下駄を買って来て、いっしょに狐になるね。そうして、文六ちゃんの狐をつれて鴉根の方へゆきましょう」
文六ちゃんは大きい眼をかがやかせて、
「鴉根って、西の方?」
「成岩《なるわ》から西南の方の山だよ」
「深い山?」
「松の木が生《は》えているところだよ」
「猟師はいない?」
「猟師って鉄砲打ちのことかい? 山の中だからいるかも知れんね」
「猟師が撃ちに来たら、母ちゃんどうしよう?」
「深い洞穴《ほらあな》の中にはいって三人で小さくなっていれば見つからないよ」
「でも、雪が降ると餌《えさ》がなくなるでしょう。餌を拾いに出たとき猟師の犬に見つかったらどうしよう」
「そしたら、いっしょうけんめい走って逃げましょう」
「でも、父ちゃんや母ちゃんは速いでいいけど、僕は子供の狐だもん、おくれてしまうもん」
「父ちゃんと母ちゃんが両方から手をひっぱってあげるよ」
「そんなことをしてるうちに、犬がすぐうしろに来たら?」
お母さんはちょっと黙っていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声でした。
「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」
「どうして?」
「犬は母ちゃんに噛《か》みつくでしょう、そのうちに猟師が来て、母ちゃんをしばってゆくでしょう。その間に、坊やとお父ちゃんは逃げてしまうのだよ」
文六ちゃんはびっくりしてお母さんの顔をまじまじと見ました。
「いやだよ、母ちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」
「でも、そうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」
「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがなくなるじゃないか」
「でもそうするよりしようがないよ、母ちゃんは、びっこをひきひきゆっくりゆっくり……」
「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」
文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れて来ました。
お母さんも、ねまきのそででこっそり眼のふちをふきました、そして文六ちゃんがはねとばした、小さい枕《まくら》を拾って、あたまの下にあてがってやりました。
底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
1996(平成8)年7月16日発行第1刷
入力:浜野智
校正:浜野智
1999年6月3日公開
2004年2月22日修正
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