う兵太郎君は、ていこうしなかった。ふたりは、しいんとなってしまった。二町ばかりはなれた道を通るらしい車の輪の音が、カラカラときこえてきた。それが、はじめて聞いたこの世の物音のように感じられた。その音は、もう夕方になったということを久助君に知らせた。
久助君は、ふいとさびしくなった。くるいすぎたあとに、いつも感じるさびしさである。もうやめようと思った。だがもし、これで立ちあがって兵太郎君がベソをかいていたら、どんなにやりきれぬだろうということを、久助君は痛切《つうせつ》に感じた。おかしいことに、とっくみあいのあいだじゅう、久助君は、一ぺんも相手の顔を見なかった。今こうして相手をおさえていながらも、じぶんの顔は相手の胸の横にすりつけて下をむいているので、やはり、相手の顔は見ていないのである。
兵太郎君は身動きもせず、じっとしている。かなりはやい呼吸が、久助君の顔につたわってくる。兵太郎君は、いったいなにを考えているのだろう。
久助君はちょっと手をゆるめてみた。だが相手はもう、その虚《きょ》に乗じてはこない。久助君は手をはなしてしまった。それでも相手は立ちなおろうとしない。そこで久助君
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