、あんなところに蜂《はち》の巣《す》をかけられては、味噌部屋《みそべや》へ味噌《みそ》をとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話《はな》しました。
海蔵《かいぞう》さんは、水《みず》をのみにいっている間《あいだ》に利助《りすけ》さんの牛《うし》が椿《つばき》の葉《は》を喰《く》ってしまったことを話《はな》して、
「あそこの道《みち》ばたに井戸《いど》があったら、いいだろにのオ。」と、いいました。
「そりゃ、道《みち》ばたにあったら、みんながたすかる。」
と、いって、お母《かあ》さんは、あの道《みち》の暑《あつ》い日盛《ひざか》りに通《とお》る人々《ひとびと》をかぞえあげました。大野《おおの》の町《まち》から車《くるま》をひいて来《く》る油売《あぶらう》り、半田《はんだ》の町《まち》から大野《おおの》の町《まち》へ通《とお》る飛脚屋《ひきゃくや》、村《むら》から半田《はんだ》の町《まち》へでかけてゆく羅宇屋《らうや》の富《とみ》さん、そのほか沢山《たくさん》の荷馬車曳《にばしゃひ》き、牛車曳《ぎゅうしゃひ》き、人力曳《じんりきひ》き、遍路《へんろ》さん、乞食《こじき》、学校生徒《がっこうせいと》などをかぞえあげました。これらの人《ひと》ののど[#「のど」に傍点]がちょうどしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]あたりで乾《かわ》かぬわけにはいきません。
「だで、道《みち》のわきに井戸《いど》があったら、どんなにかみんながたすかる。」
と、お母《かあ》さんは話《はなし》をむすびました。
三十|円《えん》くらいで、その井戸《いど》が掘《ほ》れるということを、海蔵《かいぞう》さんが話《はな》しました。
「うちのような貧乏人《びんぼうにん》にゃ、三十|円《えん》といや大《たい》した金《かね》で眼《め》がまうが、利助《りすけ》さんとこのような成金《なりきん》にとっちゃ、三十|円《えん》ばかりは何《なん》でもあるまい。」
と、お母《かあ》さんはいいました。海蔵《かいぞう》さんは、せんだって利助《りすけ》さんが、山林《さんりん》でたいそうなお金《かね》を儲《もう》けたそうなときいたことをおもいだしました。
ひと風呂《ふろ》あびてから、海蔵《かいぞう》さんは牛車曳《ぎゅうしゃひ》きの利助《りすけ》さんの家《いえ》へ出《で》かけました。
うしろ山《やま》で、ほオほオと梟《ふくろう》が鳴《な》いていて、崖《がけ》の上《うえ》の仁左《にざ》エ門《もん》さんの家《いえ》では、念仏講《ねんぶつこう》があるのか、障子《しょうじ》にあかりがさし、木魚《もくぎょ》の音《おと》が、崖《がけ》の下《した》のみちまでこぼれていました。もう夜《よる》でありました。行《い》ってみると、働《はたら》き者《もの》の利助《りすけ》さんは、まだ牛小屋《うしごや》の中《なか》のくらやみで、ごそごそと何《なに》かしていました。
「えらい精《せい》が出《で》るのオ。」
と、海蔵《かいぞう》さんがいいました。
「なに、あれから二へん半田《はんだ》まで通《かよ》ってのオ、ちょっとおくれただてや。」
といいながら、牛《うし》の腹《はら》の下《した》をくぐって利助《りすけ》さんが出《で》て来《き》ました。
二人《ふたり》が縁《えん》ばなに腰《こし》をかけると、海蔵《かいぞう》さんが、
「なに、きょうのしんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]のことだがのオ。」
と、話《はな》しはじめました。
「あの道《みち》ばたに井戸《いど》を一つ掘《ほ》ったら、みんながたすかると思《おも》うがのオ。」
と、海蔵《かいぞう》さんがもちかけました。
「そりゃ、たすかるのオ。」
と、利助《りすけ》さんがうけました。
「牛《うし》が椿《つばき》の葉《は》をくっちまうまで知《し》らんどったのは、清水《しみず》が道《みち》から遠《とお》すぎるからだのオ。」
「そりゃ、そうだのオ。」
「三十|円《えん》ありゃ、あそこに井戸《いど》がひとつ掘《ほ》れるだがのオ。」
「ほオ、三十|円《えん》のオ。」
「ああ、三十|円《えん》ありゃええだげな。」
「三十|円《えん》ありゃのオ。」
こんなふうにいっていても、いっこう利助《りすけ》さんが、こちらの心《こころ》をくみとってくれないので、海蔵《かいぞう》さんは、はっきりいってみました。
「それだけ、利助《りすけ》さ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前《まえ》、だいぶ山林《さんりん》でもうかったそうだが。」
利助《りすけ》さんは、いままで調子《ちょうし》よくしゃべっていましたが、きゅうに黙《だま》ってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。
「どうだエ、利助《りすけ》さ。」
と、海蔵《かいぞう》さんは、しばらくして答《こた》えをうながしま
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
新美 南吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング