した。
それでも利助《りすけ》さんは、岩《いわ》のように黙《だま》っていました。どうやら、こんな話《はなし》は利助《りすけ》さんには面白《おもしろ》くなさそうでした。
「三十|円《えん》で、できるげながのオ。」
と、また海蔵《かいぞう》さんがいいました。
「その三十|円《えん》をどうしておれが出《だ》すのかエ。おれだけがその水《みず》をのむなら話《はなし》がわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸《いど》に、どうしておれが金《かね》を出《だ》すのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」
と、やがて利助《りすけ》さんはいいました。
海蔵《かいぞう》さんは、人々《ひとびと》のためだということを、いろいろと説《と》きましたが、どうしても利助《りすけ》さんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助《りすけ》さんは、もうこんな話《はなし》はいやだというように、
「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹《はら》がへっとるで。」
と、家《いえ》の中《なか》へむかってどなりました。
海蔵《かいぞう》さんは腰《こし》をあげました。利助《りすけ》さんが、夜《よる》おそくまでせっせと働《はたら》くのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。
ひとりで夜《よ》みちを歩《ある》きながら、海蔵《かいぞう》さんは思《おも》いました。――こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんの力《ちから》でしなけりゃ、と。
三
旅《たび》の人《ひと》や、町《まち》へゆく人《ひと》は、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]の下《した》の椿《つばき》の木《き》に、賽銭箱《さいせんばこ》のようなものが吊《つ》るされてあるのを見《み》ました。それには札《ふだ》がついていて、こう書《か》いてありました。
「ここに井戸《いど》を掘《ほ》って旅《たび》の人《ひと》にのんでもらおうと思《おも》います。志《こころざし》のある方《かた》は一|銭《せん》でも五|厘《りん》でも喜捨《きしゃ》して下《くだ》さい。」
これは海蔵《かいぞう》さんのしわざでありました。それがしょうこに、それから五、六|日《にち》のち、海蔵《かいぞう》さんは、椿《つばき》の木《き》に向《む》かいあった崖《がけ》の上《うえ》にはらばいになって、えにしだの下《した》から首《くび》ったまだけ出《だ》し、人々《ひとびと》の喜捨《きしゃ》のしようを見《み》ていました。
やがて半田《はんだ》の町《まち》の方《ほう》からお婆《ばあ》さんがひとり、乳母車《うばぐるま》を押《お》してきました。花《はな》を売《う》って帰《かえ》るところでしょう。お婆《ばあ》さんは箱《はこ》に目《め》をとめて、しばらく札《ふだ》をながめていました。しかし、お婆《ばあ》さんは字《じ》を読《よ》んだのではなかったのです。なぜなら、こんなひとりごとをいいました。
「地蔵《じぞう》さんも何《なに》もないのに、なんでこんなとこに賽銭箱《さいせんばこ》があるのじゃろ。」そしてお婆《ばあ》さんは行《い》ってしまいました。
海蔵《かいぞう》さんは、右手《みぎて》にのせていたあごを、左手《ひだりて》にのせかえました。
こんどは村《むら》の方《ほう》から、しりはしょりした、がにまたのお爺《じい》さんがやって来《き》ました。「庄平《しょうへい》さんのじいさんだ。あの爺《じい》さんは昔《むかし》の人間《にんげん》でも、字《じ》が読《よ》めるはずだ。」と、海蔵《かいぞう》さんはつぶやきました。
お爺《じい》さんは箱《はこ》に眼《め》をとめました。そして「なになに。」といいながら、腰《こし》をのばして札《ふだ》を読《よ》みはじめました。読《よ》んでしまうと、「なアるほど、ふふウん、なアるほど。」と、ひどく感心《かんしん》しました。そして、懐《ふところ》の中《なか》をさぐりだしたので、これは喜捨《きしゃ》してくれるなと思《おも》っていると、とり出《だ》したのは古《ふる》くさい莨入《たばこい》れでした。お爺《じい》さんは椿《つばき》の根元《ねもと》でいっぷくすって行《い》ってしまいました。
海蔵《かいぞう》さんは起《お》きあがって、椿《つばき》の木《き》の方《ほう》へすべりおりました。
箱《はこ》を手《て》にとって、ふってみました。何《なん》の手《て》ごたえもないのでした。
がっかりして海蔵《かいぞう》さんは、ふうッと、といきをもらしました。
「けっきょく、ひとは頼《たよ》りにならんとわかった。いよいよこうなったら、おれひとりの力《ちから》でやりとげるのだ。」
といいながら、海蔵《かいぞう》さんは、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]をのぼって行《い》きました。
四
次《つぎ》の日《ひ》、大野《おおの》の町《まち》へ客《きゃく》
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