《き》こえて来《き》ました。だいぶ地主《じぬし》の体《からだ》が弱《よわ》ったことがわかりました。
「あんたは、また来《き》ましたね。親父《おやじ》はまだ生《い》きていますよ。」
と、出《で》て来《き》た息子《むすこ》さんがいいました。
「いえ、わしは、親父《おやじ》さんが生《い》きておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」
と、海蔵《かいぞう》さんはいいました。
老人《ろうじん》はやつれて寝《ね》ていました。海蔵《かいぞう》さんは枕《まくら》もとに両手《りょうて》をついて、
「わしは、あやまりに参《まい》りました。昨日《きのう》、わしはここから帰《かえ》るとき、息子《むすこ》さんから、あなたが死《し》ねば息子《むすこ》さんが井戸《いど》を許《ゆる》してくれるときいて、悪《わる》い心《こころ》になりました。もうじき、あなたが死《し》ぬからいいなどと、恐《おそ》ろしいことを平気《へいき》で思《おも》っていました。つまり、わしはじぶんの井戸《いど》のことばかり考《かんが》えて、あなたの死《し》ぬことを待《ま》ちねがうというような、鬼《おに》にもひとしい心《こころ》になりました。そこで、わしは、あやまりに参《まい》りました。井戸《いど》のことは、もうお願《ねが》いしません。またどこか、ほかの場所《ばしょ》をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死《し》なないで下《くだ》さい。」
と、いいました。
老人《ろうじん》は黙《だま》ってきいていました。それから長《なが》いあいだ黙《だま》って海蔵《かいぞう》さんの顔《かお》を見上《みあ》げていました。
「お前《まえ》さんは、感心《かんしん》なおひとじゃ。」
と、老人《ろうじん》はやっと口《くち》を切《き》っていいました。
「お前《まえ》さんは、心《こころ》のええおひとじゃ、わしは長《なが》い生涯《しょうがい》じぶんの慾《よく》ばかりで、ひとのことなどちっとも思《おも》わずに生《い》きて来《き》たが、いまはじめてお前《まえ》さんのりっぱな心《こころ》にうごかされた。お前《まえ》さんのような人《ひと》は、いまどき珍《めずら》しい。それじゃ、あそこへ井戸《いど》を掘《ほ》らしてあげよう。どんな井戸《いど》でも掘《ほ》りなさい。もし掘《ほ》って水《みず》が出《で》なかったら、どこにでもお前《まえ》さんの好《す》きなところに掘《ほ》らしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地《とち》だから。うん、そうして、井戸《いど》を掘《ほ》る費用《ひよう》がたりなかったら、いくらでもわしが出《だ》してあげよう。わしは明日《あした》にも死《し》ぬかも知《し》れんから、このことを遺言《ゆいごん》しておいてあげよう。」
海蔵《かいぞう》さんは、思《おも》いがけない言葉《ことば》をきいて、返事《へんじ》のしようもありませんでした。だが、死《し》ぬまえに、この一人《ひとり》の慾《よく》ばりの老人《ろうじん》が、よい心《こころ》になったのは、海蔵《かいぞう》さんにもうれしいことでありました。
六
しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]から打《う》ちあげられて、少《すこ》しくもった空《そら》で花火《はなび》がはじけたのは、春《はる》も末《すえ》に近《ちか》いころの昼《ひる》でした。
村《むら》の方《ほう》から行列《ぎょうれつ》が、しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]を下《お》りて来《き》ました。行列《ぎょうれつ》の先頭《せんとう》には黒《くろ》い服《ふく》、黒《くろ》と黄《き》の帽子《ぼうし》をかむった兵士《へいし》が一人《ひとり》いました。それが海蔵《かいぞう》さんでありました。
しんたのむね[#「しんたのむね」に傍点]を下《お》りたところに、かたがわには椿《つばき》の木《き》がありました。今花《いまはな》は散《ち》って、浅緑《あさみどり》の柔《やわ》らかい若葉《わかば》になっていました。もういっぽうには、崖《がけ》をすこしえぐりとって、そこに新《あたら》しい井戸《いど》ができていました。
そこまで来《く》ると、行列《ぎょうれつ》がとまってしまいました。先頭《せんとう》の海蔵《かいぞう》さんがとまったからです。学校《がっこう》かえりの小《ちい》さい子供《こども》が二人《ふたり》、井戸《いど》から水《みず》を汲《く》んで、のどをならしながら、美《うつく》しい水《みず》をのんでいました。海蔵《かいぞう》さんは、それをにこにこしながら見《み》ていました。
「おれも、いっぱいのんで行《い》こうか。」
子供《こども》たちがすむと、海蔵《かいぞう》さんはそういって、井戸《いど》のところへ行《い》きました。
中《なか》をのぞくと、新《あたら》しい井戸《いど》に、新《あたら》しい清水《しみず》がゆたかに湧
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