海から歸る日
新美南吉

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)せんだん[#「せんだん」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)つぶら/\となる
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             1

 五年間に通過して來た道、それは今考へたつてわからない。たゞわかるものは今の心だ。五年の最後に到達した心だ。人の心ではない。自分の心だ。

             2

 雲はビルデイングになつてくれない。風鈴草はいくら振つても鳴つてくれない。木馬は乘つたつて走らない。

             3

 私の生活は私の生活。私の心は私の心。あなたの生活もあなたの心もあなたののだ。いかに暴逆なネロでも、私の生活を窺ふ事は出來ない。私の生活は矢張り私の生活。

             4

 初夏のうらゝかな日の午後、せんだん[#「せんだん」に傍点]の枝を見てゐると、私は存在してゐるだらうかと思つた。
 そしてせんだん[#「せんだん」に傍点]の實がつぶら/\となる頃に、私は一つの木の實を拾つた。
 ――存在しないと私が思つた時、私は存在しないのだ。KもMも存在してゐないと思つた時、私に於てKもMも存在してゐないのだ。牛が人間より頭がいゝと思つた時、牛は人間より非常に頭がいゝ。

             5

 [#ここから横組み]1+2=3 A=B ナルトキ A+C=B+C 2>1[#ここで横組み終わり]
 私達が數學の問題を解く時、若し上のやうな公理が存しなかつたら、問題がとけるだらうか。私達はいつも無意識の裡にそれ等を眞として數學のプロブレムを取扱つて來た。が若し一度 [#ここから横組み]1+2=3 2>1[#ここで横組み終わり] なる事に疑をもつたらどんな簡單な問題も解く事が出來ない。[#ここから横組み]2>1[#ここで横組み終わり] を眞としてかゝればこそどんな複雜なものも解けるのだ。では、[#ここから横組み]1+2=3 2>1[#ここで横組み終わり] とは何か。私達はこれを「信仰」と云ふ詞に解釋しよう。一點の疑もいだかない信仰と云はう。[#ここから横組み]1+2=3[#ここで横組み終わり] が數學の問題に解決を與へる樣に、信仰は人生の問題に解決を與へるのだ。


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