6
去られたミノベ先生が、こんな事を云はれた事があつた。――科學の源は神樣である。例へば、人類の原始へ科學が溯つてゆくとき、どうしても神樣がなければ、人類の最初のものが生じない事になつて、科學の大きな建物は土臺を失つてしまふ。――私達が神樣の作られたものならば、私達の周圍のすべてのものも神樣の作られたものである。だから私達の周圍にはむだ[#「むだ」に傍点]なものは一つもありません。偶然に空から落ちて來た隕石みたいなものは一つもありません。
7
僕の父は鰡が生長して膃肭臍になると信じてゐる。このいな[#「いな」に傍点]が食卓にのぼる度に云ふ。僕がそんな事はない。魚が獸になるなんて事はないと説明する。しかし父は肯んじない。「學問上ではさうかも知らないが、いな[#「いな」に傍点]は確かに膃肭臍になる。」さう云ふ。
父は幼い時から、父の兩親から或は友達からさうきかされて來たに違ひない。そして信じて來たのだ。だからおつとせい[#「おつとせい」に傍点]になると云ひ張る。僕は此の頃 [#ここから横組み]鰡=おつとせい[#ここで横組み終わり] の信仰に、却つて一種敬虔な感を持つやうになつた。無學な父には夜と晝のやうに明白な眞理なんだ。
眞理は信仰から生れる。信仰のない者には眞理がない。すべて無だ。水蒸氣の樣なものだ。すべてが無である事はその者が生きてゐない事だ。だから人間の存在すると云ふ事は、その者が信仰を持つてゐると云ふ事だ。
8
信仰に善惡があるか。客觀的にはあらうが、主觀的にはない。自分の信仰が正しくないと分つた時、その信仰は信仰でなくなる。
信仰に大小があるか。主觀的にも客觀的にもある。或る物にぶつかつて、心に迷が生ずる。即ち彼に信仰の不足が生じてゐるからだ。
では、すべての宇宙間に存する物に一點の迷をもたぬ信仰をもつ事が出來るか。それは釋迦だ。孔子だ。基督だ。
彼等の信仰は皆色彩を異にするけれど、その大きさは同じだ。昔から多くの人に尊敬されて來た理由として私は新しい解釋を加へよう。
「彼等の信仰が宇宙と同じ大きさであつたからだ。したがつて間隙のない人生を生きたからだ。」
小學校の生徒に、教壇から、社會の醜をさとす。「皆さん、社會は學校と違ふ。醜いものですぞ。」けれども
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