いわなかった。やすらかさと、つかれが、からだも心も領していて、なにも考えたくなく、なにもいいたくなかったのである。
 うそつきの太郎左衛門も、こんどだけはうそをいわなかった、と、久助君は、とこ[#「とこ」に傍点]にはいったときはじめて思った。死ぬか生きるかというどたん場では、あいつもうそをいわなかった。そうしてみれば、太郎左衛門も、けっしてわけのわからぬやつではなかったのである[#「太郎左衛門も」と「けっしてわけのわからぬやつではなかったのである」に傍点]。
 人間というものは、ふだんどんなに考えかたがちがっているわけのわからないやつでも、最後のぎりぎりのところでは、だれも同じ考えかたなのだ。つまり、人間はその根もとのところでは、みんなよくわかりあうのだということが、久助君にはわかったのである。すると久助君は、ひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている波の音を聞きながら、すっとねむってしまった。



底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
   1968(昭和43)年2月20日初版発行
   1974(昭和49)年1月30日12版発行
※本作品中には、身体的・精神的
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