。
「おととしの秋ね、ベロナールで自殺しちゃったの」
自殺というのはじぶんで死ぬことだというくらいは、久助君にだってわかるが、そんなことばを使うものは、久助君のいままでのなかまには、ひとりもいなかったので、ただもう、めんくらうばかりである。
じぶんの家の門の方へまがりかけた太郎左衛門は、なにか思いついたように久助君のところへもどってきて、
「きみ、いいもんあげよう、手を出したまえ」
といった。久助君がもじもじしながら手を出すと、太郎左衛門は、小さい万年筆みたいなものをその上でふった。すると小さいみじん玉がひとつぶ、久助君のてのひらの上にこぼれ出た。太郎左衛門はじぶんのてのひらにもふり出すと、それを口の中へほうりこんで、門の方へいってしまった。久助君は、はじめ、空気銃《くうきじゅう》で使うみじん玉かと思ったが、みじん玉にしては、てのひらにこころよい感じをあたえるあの重みがないので、別のものだと考えた。そして、ともかく太郎左衛門のまねをして、口の中に入れてみた。
舌の先でしばらくまわしていると、にがいまずいしるがとけて出たので、なんだ、こんなもん、かぜのとき飲まされるトンプクの玉みたいじゃないかと思って、はき出そうとした。するととたんに、そのにがかったものが、すずしいあまさに変わって、じつに口の中が爽快《そうかい》になったので、久助君はひとりで、クックッとわらいだしてしまった。なんだ、こんなもんか。ハッカのもとというようなものなんだな。しかし、すぐにまた、舌の先がにがみをおぼえはじめ、久助君は顔をしかめずにはおれなかった。しかし、いまにまた、すずしくあまくなるだろうと思って、がまんしていた。はたして、まもなくそのとおりになった。これで久助君には、この玉のしかけがわかった。にがくなったり、あまくなったり、交互《こうご》にくり返すようになっているのだ。ところで、三どめににがくなってきたとき、久助君はもういやになって、はき出してしまった。それはとけて、茶色のつばになっていた。はき出したあとで口をあけて空気をすいこむと、これはまた、なんという爽快《そうかい》なことだろう! 久助君の小さな口の中に、すずしい秋の朝が、ごっそりひとつはいりこんだみたいだ。久助君はその爽快味《そうかいみ》を満喫《まんきつ》するため、大きく口をあけて、ハアーッハアーッと呼吸しながら、家まできてしまったのである。
「なんだい、久は。仁丹《じんたん》のにおいをさせてるじゃないか」
と、おかあさんがいった。そこではじめて久助君は、なぞがとけて、そして、ばからしくなってしまった。仁丹なら、久助君は百も知っていたのだ。もっとも、たべたことは、こんどがはじめてだけれど。
どうしてまた久助君は、ありふれた仁丹なんかを、なにかたいへんな、ふしぎなもののように思いこまされてしまったんだろう。思えば思うほど、久助君にとって、太郎左衛門はきみょうな少年であった。
三
道から十メートルばかりはいったところに、太郎左衛門の屋敷《やしき》の門がある。光蓮寺《こうれんじ》の山門をすこし小さくしたような、さびた金具などのついた古めかしい門である。横に小さいくぐり[#「くぐり」に傍点]があって、太郎左衛門はそれから出はいりし、門はいつでもしまっている。
太郎左衛門といっしょにそこまできて、太郎左衛門が、「しっけい」とか、「さよなら、またあした」などといって、そのくぐり[#「くぐり」に傍点]からすっと中へはいり、あとにぴったりくぐり戸もしめられてしまうと、久助君は、いったいこの門の中で、太郎左衛門はどんなことをしているのだろう、おとなのことばでいえば、どんな生活をしているのだろうと、ちょっと思うのであった。しかし、あまりその中にはいってみたいとは思わなかった。
なにしろ、ばかにしんかんとしているのである。古めかしくてしんかんとしている――、そういうところを、久助君はこのまないのだ。
あるとき久助君は、太郎左衛門についてその門の中にはいった。
庭はあんがいせまかった。だが、久助君の目をひきつけたものがそこにあった。まっ四角な深い池で、底の方に緑色のにごった水がよどんでいた。四方の石がきにはこけがいっぱいついて、石の色はすこしも見えない。つまり、この一升ますのような形の池は、なにからなにまで緑色である。そして水の中には、こいがいるらしい。ところどころ、水の緑色の中に、ぼんやりした赤や、白がみとめられるのは、たしかにそれだ。久助君はしばらくのぞいていると、なまぐさいいやなにおいが鼻につきはじめた。そればかりか、この池全体が、なにか、子どもによそよそしい感じをもっていることがわかったので、じきそばをはなれてしまった。
久助君は、招かれてふじの花のさいている縁側《えんがわ
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