キ坊《ぼう》ちゃんはね、死んじゃったの。もう五、六年もまえの雪のふった晩に」
相手の人がなにかこたえているらしい。それが久助君にはきこえないが、彼女にはきこえるとみえて、耳をたてて聞いている。そしてまたいう。
「この子、死ぬってこと知らないんだわ。死ぬってね、かくれんぼうでどっかへかくれて、いつまで待っても出てこないようなもんよ」
すがたの見えない相手がなにかいうらしい。すると彼女は、なにかおかしい返事を聞いたのだろう、とつぜんクックックッとわらいだした。そしてこのわらうのが、じぶんで満足のいくようにできないとみえて、彼女はなんどもやりなおした。「クックックッ」とか、「ウフッフッフッ」とかいって。
久助君はもうがまんができなかった。すぐ家へ帰ってしまった。
それからしばらく、久助君は、太郎左衛門の屋敷の門の前を通るときにはきっと、ふじの花のさいている明るい昼間だというのに、ランプをつけて学芸会の劇を練習している、色の白いぶきみな少女のことを思い出したのである。
四
だんだん太郎左衛門は、みんなと親しくなった。みんなは最初のうち、太郎左衛門を尊敬して、すこしいいにくかったけれど、「太郎君」とよんでいた。
やがて太郎左衛門は、みんなといっそう親しくなって、みんなにとりかこまれ、よっぱらいのように下品にしゃべりちらしていることもあった。するとみんなは、太郎左衛門を尊敬したりするのはふさわしくないことがわかり、えんりょなく、「太郎左衛門」とよぶようになった。
そのうちにみんなはもう、「太郎君」とも、「太郎左衛門」ともいわなくなってしまった。というのは、太郎左衛門は、つきあってもいっこうおもしろくない、つまらないやつだということが、みんなにわかってしまったからである。
はじめから今にいたるまで、「太郎君」というれいぎ正しいよびかたをつづけている人が、ただひとりあった。それは、受け持ちの山口先生である。
太郎左衛門がうそをつくといううわさがたちはじめたのは、そのころであった。
「あんなやつのいうことは、なんにも信用できん」
というものもあった。久助君は、そんなこともあるまいと思った。しかし、あるいはそうなのかもしれんとも思った。
ある日、兵太郎君が五、六人のなかまにむかって、なにか一生けんめいにふんがいしていた。久助君がなんだろうと思ってき
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