の背中《せなか》に負《お》われている猿《さる》に、柿《かき》の実《み》をくれてやったら、一口《ひとくち》もたべずに地《じ》べたにすててしまいました。みんながじぶんを嫌《きら》っていたのです。みんながじぶんを信用《しんよう》してはくれなかったのです。ところが、この草鞋《わらじ》をはいた子供《こども》は、盗人《ぬすびと》であるじぶんに牛《うし》の仔《こ》をあずけてくれました。じぶんをいい人間《にんげん》であると思《おも》ってくれたのでした。またこの仔牛《こうし》も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが母牛《ははうし》ででもあるかのように、そばにすりよっています。子供《こども》も仔牛《こうし》も、じぶんを信用《しんよう》しているのです。こんなことは、盗人《ぬすびと》のじぶんには、はじめてのことであります。人《ひと》に信用《しんよう》されるというのは、何《なん》といううれしいことでありましょう。……
そこで、かしらはいま、美《うつく》しい心《こころ》になっているのでありました。子供《こども》のころにはそういう心《こころ》になったことがありましたが、あれから長《なが》い間《あいだ》、わるい汚《きたな》い心《こころ》でずっといたのです。久《ひさ》しぶりでかしらは美《うつく》しい心《こころ》になりました。これはちょうど、垢《あか》まみれの汚《きたな》い着物《きもの》を、きゅうに晴《は》れ着《ぎ》にきせかえられたように、奇妙《きみょう》なぐあいでありました。
――かしらの眼《め》から涙《なみだ》が流《なが》れてとまらないのはそういうわけなのでした。
やがて夕方《ゆうがた》になりました。松蝉《まつぜみ》は鳴《な》きやみました。村《むら》からは白《しろ》い夕《ゆう》もやがひっそりと流《なが》れだして、野《の》の上《うえ》にひろがっていきました。子供《こども》たちは遠《とお》くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という声《こえ》が、ほかのもの音《おと》とまじりあって、ききわけにくくなりました。
かしらは、もうあの子供《こども》が帰《かえ》って来《く》るじぶんだと思《おも》って待《ま》っていました。あの子供《こども》が来《き》たら、「おいしょ。」と、盗人《ぬすびと》と思《おも》われぬよう、こころよく仔牛《こうし》をかえしてやろう、と考《かんが》えていま
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