はみんなを鐘楼《しゅろう》の下《した》に一|列《れつ》励行《れいこう》させた。そして一人《ひとり》ずつ石段《いしだん》をあがってつくのだが、一人《ひとり》のつく数《かず》は三つにきめられた。お菓子《かし》の配給《はいきゅう》のときのことをおもい出《だ》して、僕《ぼく》はおかしかった。だが、ごんごろ鐘《がね》を最後《さいご》に三つずつ鳴《な》らさせてもらうこの「配給《はいきゅう》」は、お菓子《かし》の配給《はいきゅう》以上《いじょう》にみんなに満足《まんぞく》をあたえた。
最後《さいご》に吉彦《よしひこ》さんがじぶんで、大《おお》きく大《おお》きく撞木《しゅもく》を振《ふ》って、がオオんん、とついた。わんわんわん、と長《なが》く余韻《よいん》がつづいた。すると吉彦《よしひこ》さんが、
「西《にし》の谷《たに》も東《ひがし》の谷《たに》も、北《きた》の谷《たに》も南《みなみ》の谷《たに》も鳴《な》るぞや。ほれ、あそこの村《むら》も、あそこの村《むら》も、鳴《な》るぞや。」
と、謎《なぞ》のようなことをいった。
「ほんとだ、ほんとだ。」
と、樽屋《たるや》の木之助《きのすけ》爺《じい》さんと、ほか二、三|人《にん》の老人《ろうじん》があいづちをうった。
ぼくは何《なん》のことやらわけが分《わ》からなかったので、あとでお父《とう》さんにきいて見《み》たら、お父《とう》さんはこう説明《せつめい》してくれた。
「ごんごろ鐘《がね》ができたのは、わたしのお祖父《じい》さんの若《わか》かったじぶんで、わたしもまだ生《う》まれていなかった昔《むかし》のことだが、その頃《ころ》は村《むら》の人達《ひとたち》はみなお金《かね》というものを少《すこ》ししか持《も》っていなかったので、村中《むらじゅう》がその僅《わず》かずつのお金《かね》を出《だ》しあっても、まだ鐘《かね》を一つつくるには足《た》りなかった。そこで西《にし》や東《ひがし》や南《みなみ》や北《きた》の谷《たに》に住《す》んでいる人《ひと》たちやら、もっと遠《とお》くのあっちこっちの村《むら》まで合力《ごうりょく》してもらいにいったんだそうだ。合力《ごうりょく》というのは、たすけてもらうことなのさ。そうしてようやくできあがった鐘《かね》だから、四方《しほう》の谷《たに》の人《ひと》や向《む》こうの村々《むらむら》の人《ひと》
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