の心《こころ》もこもっているわけだ。だからごんごろ鐘《がね》をつくと、その谷《たに》や村《むら》の音《おと》もまじっているように聞《き》こえるのだよ。」
 ごんごろ鐘《がね》をおろすのは、庭師《にわし》の安《やす》さんが、大《おお》きい庭石《にわいし》を動《うご》かすときに使《つか》う丸太《まるた》や滑車《せみ》を使《つか》ってやった。若《わか》い人達《ひとたち》が手伝《てつだ》った。馴《な》れないことだからだいぶん時間《じかん》がかかった。
 ごんごろ鐘《がね》はひとまず鐘楼《しゅろう》の下《した》に新筵《にいむしろ》をしいて、そこにおろされた。いつも下《した》からばかり見《み》ていた鐘《かね》が、こうして横《よこ》から見《み》られるようになると、何《なに》か別《べつ》のもののような変《へん》な感《かん》じがした。緑青《ろくしょう》がいっぱいついている上《うえ》に、頂《いただき》の方《ほう》には埃《ほこり》がつもっているので、かなりきたなかった。庵主《あんじゅ》さんと、よく尼寺《あまでら》の世話《せわ》をするお竹《たけ》婆《ばあ》さんとが、縄《なわ》をまるめてごしごしと洗《あら》った。
 すると今《いま》まではっきりしなかった鐘《かね》の銘《めい》も、だいぶんはっきりして来《き》た。吉彦《よしひこ》さんがちょっと読《よ》んで見《み》て、
「こりゃ、お経《きょう》だな。」
といった。それからまた、
「安永《あんえい》何《なん》とか書《か》いてあるぜ。こりゃ安永年間《あんえいねんかん》にできたもんだ。」
といった。すると、どもりの勘太《かんた》爺《じい》さんが、
「そ、そうだ。う、う、おれの親父《おやじ》が、う、う、生《う》まれたとしにできた、げな。お、お、親父《おやじ》は安永《あんえい》の、う、う、うまれだ。」
と、かみつくようにいった。
 紋次郎君《もんじろうくん》とこの婆《ばあ》さんが、
「三河《みかわ》のごんごろという鐘師《かねし》がつくったと書《か》いてねえかン。」
ときいた。
「そんなことは書《か》いてねえ、助九郎《すけくろう》という名《な》が書《か》いてある。」
と、吉彦《よしひこ》さんが答《こた》えると、婆《ばあ》さんは何《なに》かぶつくさいってひっこんだ。
 和太郎《わたろう》さんが牛車《ぎゅうしゃ》をひいて来《き》たとき、きゅうに庵主《あんじゅ》さ
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