いっているうちに、誰《だれ》かが言《い》いちがえてごんごろ[#「ごんごろ」に傍点]鐘《がね》といっちまったんだ。するとごんごろ[#「ごんごろ」に傍点]鐘《がね》の方《ほう》がごんごん[#「ごんごん」に傍点]鐘《がね》よりごろ[#「ごろ」に傍点]がいいので、とうとうごんごろ[#「ごんごろ」に傍点]鐘《がね》になったのさ。」
僕《ぼく》は小《ちい》さかったときには、ごんごろ鐘《がね》をずいぶん大《おお》きいものと思《おも》っていた。しかし国民《こくみん》六|年《ねん》にもうじきなろうという現在《げんざい》では、それほど大《おお》きいとは思《おも》わない。直径《ちょっけい》が約《やく》七十|糎《センチ》だから周囲《しゅうい》は[#ここから横組み]70cm×3.14=219.8cm[#ここで横組み終わり]というわけだ。お父《とう》さんが奈良《なら》で見《み》て来《き》た鐘《かね》というのは、直径《ちょっけい》が二|米《メートル》ぐらいあったそうだから、そんなのにくらべれば、ごんごろ鐘《がね》は鐘《かね》の赤《あか》ん坊《ぼう》にすぎない。
しかし僕《ぼく》たち村《むら》のものにとっては、いつまでも忘《わす》れられない鐘《かね》だ。なぜなら、尼寺《あまでら》の庭《にわ》の鐘楼《しゅろう》の下《した》は、村《むら》のこどものたまりばだからだ。僕《ぼく》たちが学校《がっこう》にあがらないじぶんは、毎日《まいにち》そこで遊《あそ》んだのだ。学校《がっこう》にあがってからでも学校《がっこう》がひけたあとでは、たいていそこにあつまるのだ。夕方《ゆうがた》、庵主《あんじゅ》さんが、もう鐘《かね》をついてもいいとおっしゃるのをまっていて、僕《ぼく》らは撞木《しゅもく》を奪《うば》いあってついたのだ。またごんごろ鐘《がね》は、僕《ぼく》たちの杉《すぎ》の実《み》でっぽうや、草《くさ》の実《み》でっぽうのたまをどれだけうけて、そのたびにかすかな澄《す》んだ音《おと》で僕達《ぼくたち》の耳《みみ》をたのしませてくれたか知《し》れない。
おもえば、ごんごろ鐘《がね》についてのおもいでは、数《かず》かぎりがない。
三|月《がつ》二十二|日《にち》
春休《はるやす》み第《だい》二|日《にち》の今日《きょう》、ごんごろ鐘《がね》がいよいよ「出征《しゅっせい》」することになった。
兎《うさぎ
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