ようになったのだそうだ。しかしこの話《はなし》はどうも怪《あや》しい、と僕《ぼく》は思《おも》う。人間《にんげん》のぜんそくが鐘《かね》にうつるというところが変《へん》だ。それなら、人間《にんげん》の腸《ちょう》チブスが鐘《かね》にうつるということもあるはずだし、人間《にんげん》のジフテリヤが鐘《かね》にうつるということもあるはずである。それじゃ鐘《かね》の病院《びょういん》も建《た》たなければならないことになる。
 僕《ぼく》と松男君《まつおくん》はいつだったか、ろんよりしょうこ、ごんごろ鐘《がね》がはたしてごんごろごろ[#「ごんごろごろ」に傍点]と鳴《な》るかどうか試《ため》しにいったことがある。静《しず》かなときを僕《ぼく》たちは選《えら》んでいった。鐘楼《しゅろう》の下《した》にあじさいが咲《さ》きさかっている真昼《まひる》どきだった。松男君《まつおくん》が腕《うで》によりをかけて、あざやかに一つごオん、とついた。そして二人《ふたり》は耳《みみ》をすましてきいていたが、余韻《よいん》がわあんわあんと波《なみ》のようにくりかえしながら消《き》えていったばかりで、ぜんそく持《も》ちの痰《たん》のような音《おと》はぜんぜんしなかった。そこで僕《ぼく》たちは、この鐘《かね》の健康状態《けんこうじょうたい》はすこぶるよろしい、と診断《しんだん》したのだった。
 また紋次郎君《もんじろうくん》とこのお婆《ばあ》さんの話《はなし》によると、この鐘《かね》を鋳《い》た人《ひと》が、三河《みかわ》の国《くに》のごんごろう[#「ごんごろう」に傍点]という鐘師《かねし》だったので、そう呼《よ》ばれるようになったんだそうだ。鐘《かね》のどこかに、その鐘師《かねし》の名《な》が彫《ほ》りつけてあるそうな、と婆《ばあ》さんはいった。これは木之助《きのすけ》爺《じい》さんの話《はなし》よりよほどほんとうらしい。
 しかし僕《ぼく》は、大学《だいがく》にいっている僕《ぼく》の兄《にい》さんの話《はなし》が、いちばん信《しん》じられるのだ。兄《にい》さんはこういった。「それはきっと、ごんごん[#「ごんごん」に傍点]鳴《な》るので、はじめに誰《だれ》かがごんごん[#「ごんごん」に傍点]鐘《がね》といったのさ。ごんごん[#「ごんごん」に傍点]鐘《がね》ごんごん[#「ごんごん」に傍点]鐘《がね》と
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