かぶと虫
新美南吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)うまやの角《かど》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)がに[#「がに」に傍点]
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         一

 お花畑から、大きな虫が一ぴき、ぶうんと空にのぼりはじめました。
 からだが重いのか、ゆっくりのぼりはじめました。
 地面から一メートルぐらいのぼると、横に飛びはじめました。
 やはり、からだが重いので、ゆっくりいきます。うまやの角《かど》の方へ、のろのろといきます。
 見ていた小さい太郎は、縁側《えんがわ》からとびおりました。そして、はだしのまま、ふるいを持って追っかけていきました。
 うまやの角をすぎて、お花畑から、麦畑へあがる草の土手《どて》の上で、虫をふせました。
 とってみると、かぶと虫でした。
「ああ、かぶと虫だ。かぶと虫とった。」
 と、小さい太郎はいいました。けれど、だれも、なんともこたえませんでした。小さい太郎は、兄弟《きょうだい》がなくてひとりぼっちだったからです。ひとりぼっちということは、こんなとき、たいへんつまらないと思います。
 小さい太郎は、縁側にもどってきました。そしておばあさんに、
「おばあさん、かぶと虫とった。」
 と、見せました。
 縁側《えんがわ》にすわって、いねむりしていたおばあさんは、目をあいてかぶと虫を見ると、
「なんだ、がに[#「がに」に傍点]かや。」
 といって、また目をとじてしまいました。
「ちがう、かぶと虫だ。」
 と、小さい太郎は、口をとがらしていいましたが、おばあさんには、かぶと虫だろうががに[#「がに」に傍点]だろうが、かまわないらしく、ふんふん、むにゃむにゃといって、ふたたび目をひらこうとしませんでした。
 小さい太郎は、おばあさんのひざから糸切れをとって、かぶと虫のうしろの足をしばりました。そして、縁板《えんいた》の上を歩かせました。
 かぶと虫は、牛のようによちよちと歩きました。小さい太郎が糸のはしをおさえると、前へ進めなくて、カリカリと縁板をかきました。
 しばらくそんなことをしていましたが、小さい太郎はつまらなくなってきました。きっと、かぶと虫には、おもしろい遊び方があるのです。だれか、きっとそれを知っているのです。

         二

 そこで、小さい太郎は、大頭に麦わらぼうしをかむり、かぶと虫を糸のはしにぶらさげて、門口《かどぐち》を出ていきました。
 昼は、たいそうしずかで、どこかでむしろをはたく音がしているだけでした。
 小さい太郎は、いちばんはじめに、いちばん近くの、くわ畑の中の金平《きんぺい》ちゃんの家へいきました。金平ちゃんの家には、しちめんちょうを二わかっていて、どうかすると、庭に出してあることがありました。小さい太郎はそれがこわいので、庭まではいっていかないで、いけがきのこちらから中をのぞきながら、
「金平ちゃん、金平ちゃん。」
 と、小さい声でよびました。金平ちゃんにだけ聞こえればよかったからです。しちめんちょうにまで、聞こえなくてもよかったからです。
 なかなか金平ちゃんに聞こえないので、小さい太郎は、なんどもくりかえしてよばねばなりませんでした。
 そのうちに、とうとう、うちの中から、
「金平はのォ。」
 と、返事がしてきました。金平ちゃんのおとうさんのねむそうな声でした。
「金平は、よんべから腹《はら》がいとうてのォ、ねておるのだで、きょうはいっしょに遊べんぜェ。」
「ふウん。」
 と、聞こえないくらいかすかに鼻の中でいって、小さい太郎はいけがきをはなれました。
 ちょっとがっかりしました。
 でも、またあしたになって、金平ちゃんのおなかがなおれば、いっしょに遊べるからいいと思いました。

         三

 こんどは、小さい太郎は、ひとつ年上の恭一《きょういち》君の家にいくことにしました。
 恭一君の家は、小さい百姓家《ひゃくしょうや》でしたが、まわりに、松や、つばきや、かきや、とちなど、いろんな木がいっぱいありました。恭一君は木のぼりがじょうずで、よくその木にのぼっていて、うかうかと、知らずに下を通ったりすると、つばきの実を頭の上に落としてよこして、おどろかすことがありました。
 また、木にのぼっていないときでも、恭一君はよく、もののかげや、うしろから、わっといってびっくりさせるのでした。ですから小さい太郎は、恭一君の家の近くにくると、もうゆだんができないのです。上下左右、うしろにまで気をつけながら、そろりそろりと進んでいきます。
 ところがきょうは、どの木にも恭一君はのぼっていません。どこからも、わっといってあらわれてきません。
「恭一はな。」
 と、にわとりに餌《えさ》をやりに出てきたおばさんが
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