おじいさんのランプ
新美南吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)倉の隅《すみ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八十|糎《センチ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ひき出しのかん[#「かん」に傍点]を
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かくれんぼで、倉の隅《すみ》にもぐりこんだ東一《とういち》君がランプを持って出て来た。
それは珍らしい形のランプであった。八十|糎《センチ》ぐらいの太い竹の筒《つつ》が台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。
そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。
「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗八《そうはち》君はいった。
東一君のおじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。眼鏡《めがね》越《ご》しにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。
ランプであることがわかると、東一君のおじいさんはこういって子供たちを叱《しか》りはじめた。
「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっと猫《ねこ》のようなものだ。こらこら、それはここへ持って来て、お前たちは外へ行って遊んで来い。外に行けば、電信柱《でんしんばしら》でも何でも遊ぶものはいくらでもあるに」
こうして叱られると子供ははじめて、自分がよくない行いをしたことがわかるのである。そこで、ランプを持出した東一君はもちろんのこと、何も持出さなかった近所の子供たちも、自分たちみんなで悪いことをしたような顔をして、すごすごと外の道へ出ていった。
外には、春の昼の風が、ときおり道のほこりを吹立ててすぎ、のろのろと牛車が通ったあとを、白い蝶《ちょう》がいそがしそうに通ってゆくこともあった。なるほど電信柱があっちこっちに立っている。しかし子供たちは電信柱なんかで遊びはしなかった。大人《おとな》が、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となくばかげているように子供には思えるのである。
そこで子供たちは、ポケットの中のラムネ玉をカチカチいわせながら、広場の方へとんでいった。そしてまもなく自分たちの遊びで、さっきのランプのことは忘れてしまった。
日ぐれに東一君は家へ帰って来た。奥の居間《いま》のすみに、あのランプがおいてあった。しかし、ランプのことを何かいうと、またおじいさんにがみがみいわれるかも知れないので、黙っていた。
夕御飯のあとの退屈な時間が来た。東一君はたんすにもたれて、ひき出しのかん[#「かん」に傍点]をカタンカタンといわせていたり、店に出てひげを生《は》やした農学校の先生が『大根《だいこん》栽培の理論と実際』というような、むつかしい名前の本を番頭に注文するところを、じっと見ていたりした。
そういうことにも飽くと、また奥の居間にもどって来て、おじいさんがいないのを見すまして、ランプのそばへにじりより、そのほやをはずしてみたり、五銭|白銅貨《はくどうか》ほどのねじ[#「ねじ」に傍点]をまわして、ランプの芯《しん》を出したりひっこめたりしていた。
すこしいっしょうけんめいになっていじくっていると、またおじいさんにみつかってしまった。けれどこんどはおじいさんは叱らなかった。ねえやにお茶をいいつけておいて、すっぽんと煙管筒《きせるづつ》をぬきながら、こういった。
「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。長いあいだ忘れておったが、きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても嬉《うれ》しいもんだ」
東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。おじいさんはがみがみと叱りつけたから、怒《おこ》っていたのかと思ったら、昔のランプに逢《あ》うことができて喜んでいたのである。
「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て坐《すわ》れ」
とおじいさんがいった。
東一君は話が好きだから、いわれるままにおじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話をきくときにとる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる芸当《げいとう》をしたのである。
おじいさんの話というのは次のようであった。
今から五十年ぐらいまえ、ちょうど日露戦争のじぶんのことである。岩滑新田《やなべしんでん》の村に巳之助《みのすけ》という十三の少年がいた。
巳之助は、父母も兄弟もなく、親戚《しんせき》のものとて一人もない、まったくのみなしごであった。そこで巳之助は、よその家の走り使いをしたり、女の子のように子守《こもり》をしたり、米を搗《つ》いてあげたり、そのほか、巳之助のような少年にできることなら何でもして、村に置いてもらっていた。
けれども巳之助は、こうして村の人々の御世話で生きてゆくことは、ほんとうをいえばいやであった。子守をしたり、米を搗いたりして一生を送るとするなら、男とうまれた甲斐《かい》がないと、つねづね思っていた。
男子は身を立てねばならない。しかしどうして身を立てるか。巳之助は毎日、ご飯を喰《た》べてゆくのがやっとのことであった。本一冊買うお金もなかったし、またたといお金があって本を買ったとしても、読むひまがなかった。
身を立てるのによいきっかけがないものかと、巳之助はこころひそかに待っていた。
すると或《あ》る夏の日のひるさがり、巳之助は人力車《じんりきしゃ》の先綱《さきづな》を頼まれた。
その頃《ころ》岩滑新田には、いつも二、三人の人力曳《じんりきひき》がいた。潮湯治《しおとうじ》(海水浴のこと)に名古屋から来る客は、たいてい汽車で半田《はんだ》まで来て、半田から知多《ちた》半島西海岸の大野や新舞子まで人力車でゆられていったもので、岩滑新田はちょうどその道すじにあたっていたからである。
人力車は人が曳くのだからあまり速くは走らない。それに、岩滑新田と大野の間には峠《とうげ》が一つあるから、よけい時間がかかる。おまけにその頃の人力車の輪は、ガラガラと鳴る重い鉄輪《かなわ》だったのである。そこで、急ぎの客は、賃銀を倍《ばい》出《だ》して、二人の人力曳にひいてもらうのであった。巳之助に先綱曳を頼んだのも、急ぎの避暑客であった。
巳之助は人力車のながえ[#「ながえ」に傍点]につながれた綱を肩にかついで、夏の入陽《いりひ》のじりじり照りつける道を、えいやえいやと走った。馴《な》れないこととてたいそう苦しかった。しかし巳之助は苦しさなど気にしなかった。好奇心でいっぱいだった。なぜなら巳之助は、物ごころがついてから、村を一歩も出たことがなく、峠の向こうにどんな町があり、どんな人々が住んでいるか知らなかったからである。
日が暮れて青い夕闇《ゆうやみ》の中を人々がほの白くあちこちする頃、人力車は大野の町にはいった。
巳之助はその町でいろいろな物をはじめて見た。軒《のき》をならべて続いている大きい商店が、第一、巳之助には珍らしかった。巳之助の村にはあきないやとては一軒しかなかった。駄菓子《だがし》、草鞋《わらじ》、糸繰《いとく》りの道具、膏薬《こうやく》、貝殻《かいがら》にはいった目薬、そのほか村で使うたいていの物を売っている小さな店が一軒きりしかなかったのである。
しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は盲のように手でさぐりながら、水甕《みずがめ》や、石臼《いしうす》や大黒柱《だいこくばしら》をさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入《よめい》りのとき持って来た行燈《あんどん》を使うのであった。行燈は紙を四方に張りめぐらした中に、油のはいった皿《さら》があって、その皿のふちにのぞいている燈心《とうしん》に、桜の莟《つぼみ》ぐらいの小さいほのおがともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。
それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。煤《すす》けたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。
このランプのために、大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明かるく感じられた。もう巳之助は自分の村へ帰りたくないとさえ思った。人間は誰でも明かるいところから暗いところに帰るのを好まないのである。
巳之助は駄賃《だちん》の十五銭を貰《もら》うと、人力車とも別れてしまって、お酒にでも酔ったように、波の音のたえまないこの海辺の町を、珍らしい商店をのぞき、美しく明かるいランプに見とれて、さまよっていた。
呉服屋では、番頭さんが、椿《つばき》の花を大きく染め出した反物《たんもの》を、ランプの光の下にひろげて客に見せていた。穀屋《こくや》では、小僧さんがランプの下で小豆《あずき》のわるいのを一粒ずつ拾い出していた。また或る家では女の子が、ランプの光の下に白くひかる貝殻を散らしておはじきをしていた。また或る店ではこまかい珠《たま》に糸を通して数珠《じゅず》をつくっていた。ランプの青やかな光のもとでは、人々のこうした生活も、物語か幻燈《げんとう》の世界でのように美しくなつかしく見えた。
巳之助は今までなんども、「文明開化で世の中がひらけた」ということをきいていたが、今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。
歩いているうちに、巳之助は、様々なランプをたくさん吊《つる》してある店のまえに来た。これはランプを売っている店にちがいない。
巳之助はしばらくその店のまえで十五銭を握りしめながらためらっていたが、やがて決心してつかつかとはいっていった。
「ああいうものを売っとくれや」
と巳之助はランプをゆびさしていった。まだランプという言葉を知らなかったのである。
店の人は、巳之助がゆびさした大きい吊《つり》ランプをはずして来たが、それは十五銭では買えなかった。
「負けとくれや」
と巳之助はいった。
「そうは負からん」
と店の人は答えた。
「卸値《おろしね》で売っとくれや」
巳之助は村の雑貨屋へ、作った草鞋《わらじ》を買ってもらいによく行ったので、物には卸値と小売値《こうりね》があって、卸値は安いということを知っていた。たとえば、村の雑貨屋は、巳之助の作った瓢箪型《ひょうたんがた》の草鞋を卸値の一銭五|厘《りん》で買いとって、人力曳《じんりきひき》たちに小売値の二銭五厘で売っていたのである。
ランプ屋の主人は、見も知らぬどこかの小僧がそんなことをいったので、びっくりしてまじまじと巳之助の顔を見た。そしていった。
「卸値で売れって、そりゃ相手がランプを売る家なら卸値で売ってあげてもいいが、一人一人のお客に卸値で売るわけにはいかんな」
「ランプ屋なら卸値で売ってくれるだのイ?」
「ああ」
「そんなら、おれ、ランプ屋だ。卸値で売ってくれ」
店の人はランプを持ったまま笑い出した。
「おめえがランプ屋? はッはッはッはッ」
「ほんとうだよ、おッつあん。おれ、ほんとうにこれからランプ屋になるんだ。な、だから頼むに、今日《きょう》は一つだけンど卸値で売ってくれや。こんど来るときゃ、たくさん、いっぺんに買うで」
店の人ははじめ笑っていたが、巳之助の真剣なようすに動かされて、いろいろ巳之助の身の上をきいたうえ、
「よし、そんなら卸値でこいつを売ってやろう。ほんとは卸値でもこのランプは十五銭じゃ売れないけど、おめ
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