えの熱心なのに感心した。負けてやろう。そのかわりしっかりしょうばいをやれよ。うちのランプをどんどん持ってって売ってくれ」
といって、ランプを巳之助に渡した。
巳之助はランプのあつかい方を一通り教えてもらい、ついでに提燈《ちょうちん》がわりにそのランプをともして、村へむかった。
藪《やぶ》や松林のうちつづく暗い峠道でも、巳之助はもう恐《こわ》くはなかった。花のように明かるいランプをさげていたからである。
巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが――
巳之助の新しいしょうばいは、はじめのうちまるではやらなかった。百姓たちは何でも新しいものを信用しないからである。
そこで巳之助はいろいろ考えたあげく、村で一軒きりのあきないやへそのランプを持っていって、ただで貸してあげるからしばらくこれを使って下さいと頼んだ。
雑貨屋の婆《ばあ》さんは、しぶしぶ承知して、店の天井に釘《くぎ》を打ってランプを吊し、その晩からともした。
五日ほどたって、巳之助が草鞋を買ってもらいに行くと、雑貨屋の婆さんはにこにこしながら、こりゃたいへん便利で明かるうて、夜でもお客がよう来てくれるし、釣銭《つりせん》をまちがえることもないので、気に入ったから買いましょう、といった。その上、ランプのよいことがはじめてわかった村人から、もう三つも注文のあったことを巳之助にきかしてくれた。巳之助はとびたつように喜んだ。
そこで雑貨屋の婆さんからランプの代と草鞋の代を受けとると、すぐその足で、走るようにして大野へいった。そしてランプ屋の主人にわけを話して、足りないところは貸してもらい、三つのランプを買って来て、注文した人に売った。
これから巳之助のしょうばいははやって来た。
はじめは注文をうけただけ大野へ買いにいっていたが、少し金がたまると、注文はなくてもたくさん買いこんで来た。
そして今はもう、よその家の走り使いや子守をすることはやめて、ただランプを売るしょうばいだけにうちこんだ。物干台《ものほしだい》のようなわく[#「わく」に傍点]のついた車をしたてて、それにランプやほやなどをいっぱい吊し、ガラスの触れあう涼しい音をさせながら、巳之助は自分の村や附近の村々へ売りにいった。
巳之助はお金も儲《もう》かったが、それとは別に、このしょうばいがたのしかった。今まで暗かった家に、だんだん巳之助の売ったランプがともってゆくのである。暗い家に、巳之助は文明開化の明かるい火を一つ一つともしてゆくような気がした。
巳之助はもう青年になっていた。それまでは自分の家とてはなく、区長さんのところの軒のかたむいた納屋《なや》に住ませてもらっていたのだが、小金がたまったので、自分の家もつくった。すると世話してくれる人があったのでお嫁《よめ》さんももらった。
或《あ》るとき、よその村でランプの宣伝をしておって、「ランプの下なら畳《たたみ》の上に新聞をおいて読むことが出来るのイ」と区長さんに以前きいていたことをいうと、お客さんの一人が「ほんとかン?」とききかえしたので、嘘《うそ》のきらいな巳之助は、自分でためして見る気になり、区長さんのところから古新聞をもらって来て、ランプの下にひろげた。
やはり区長さんのいわれたことはほんとうであった。新聞のこまかい字がランプの光で一つ一つはっきり見えた。「わしは嘘をいってしょうばいをしたことにはならない」と巳之助はひとりごとをいった。しかし巳之助は、字がランプの光ではっきり見えても何にもならなかった。字を読むことができなかったからである。
「ランプで物はよく見えるようになったが、字が読めないじゃ、まだほんとうの文明開化じゃねえ」
そういって巳之助は、それから毎晩区長さんのところへ字を教えてもらいにいった。
熱心だったので一年もすると、巳之助は尋常科《じんじょうか》を卒業した村人の誰にも負けないくらい読めるようになった。
そして巳之助は書物《しょもつ》を読むことをおぼえた。
巳之助はもう、男ざかりの大人《おとな》であった。家には子供が二人あった。「自分もこれでどうやらひとり立ちができたわけだ。まだ身を立てるというところまではいっていないけれども」と、ときどき思って見て、そのつど心に満足を覚えるのであった。
さて或る日、巳之助がランプの芯《しん》を仕入れに大野の町へやって来ると、五、六人の人夫《にんぷ》が道のはたに穴を堀り、太い長い柱を立てているのを見た。その柱の上の方には腕のような木が二本ついていて、その腕木には白い瀬戸物のだるまさんのようなものがいくつかのっていた。こんな奇妙なものを道のわきに立てて何にするのだろう、と思いながら少し先にゆくと、また道ばたに同じような高い柱が立っていて、それには雀《すずめ》が腕木にとまって鳴いていた。
この奇妙な高い柱は五十|米《メートル》ぐらい間をおいては、道のわきに立っていた。
巳之助はついに、ひなたでうどんを乾《ほ》している人にきいてみた。すると、うどんやは「電気とやらいうもんが今度ひけるだげな。そいでもう、ランプはいらんようになるだげな」と答えた。
巳之助にはよくのみこめなかった。電気のことなどまるで知らなかったからだ。ランプの代りになるものらしいのだが、そうとすれば、電気というものはあかり[#「あかり」に傍点]にちがいあるまい。あかり[#「あかり」に傍点]なら、家の中にともせばいいわけで、何もあんなとてつもない柱を道のくろに何本もおっ立てることはないじゃないかと、巳之助は思ったのである。
それから一月《ひとつき》ほどたって、巳之助がまた大野へ行くと、この間立てられた道のはたの太い柱には、黒い綱のようなものが数本わたされてあった。黒い綱は、柱の腕木にのっているだるまさんの頭を一まきして次の柱へわたされ、そこでまただるまさんの頭を一まきして次の柱にわたされ、こうしてどこまでもつづいていた。
注意してよく見ると、ところどころの柱から黒い綱が二本ずつだるまさんの頭のところで別れて、家の軒端《のきば》につながれているのであった。
「ヘへえ、電気とやらいうもんはあかり[#「あかり」に傍点]がともるもんかと思ったら、これはまるで綱じゃねえか。雀や燕《つばめ》のええ休み場というもんよ」
と巳之助が一人であざわらいながら、知合いの甘酒屋にはいってゆくと、いつも土間《どま》のまん中の飯台の上に吊してあった大きなランプが、横の壁の辺に取りかたづけられて、あとにはそのランプをずっと小さくしたような、石油入れのついていない、変なかっこうのランプが、丈夫《じょうぶ》そうな綱で天井からぶらさげられてあった。
「何だやい、変なものを吊したじゃねえか。あのランプはどこか悪くでもなったかやい」
と巳之助はきいた。すると甘酒屋が、
「ありゃ、こんどひけた電気というもんだ。火事の心配がのうて、明かるうて、マッチはいらぬし、なかなか便利なもんだ」
と答えた。
「ヘッ、へんてこれん[#「へんてこれん」に傍点]なものをぶらさげたもんよ。これじゃ甘酒屋の店も何だか間がぬけてしまった。客もへるだろうよ」
甘酒屋は、相手がランプ売であることに気がついたので、電燈の便利なことはもういわなかった。
「なア、甘酒屋のとッつあん。見なよ、あの天井のとこを。ながねんのランプの煤《すす》であそこだけ真黒になっとるに。ランプはもうあそこにいついてしまったんだ。今になって電気たらいう便利なもんができたからとて、あそこからはずされて、あんな壁のすみっこにひっかけられるのは、ランプがかわいそうよ」
こんなふうに巳之助はランプの肩をもって、電燈のよいことはみとめなかった。
ところでまもなく晩になって、誰もマッチ一本すらなかったのに、とつぜん甘酒屋の店が真昼のように明かるくなったので、巳之助はびっくりした。あまり明かるいので、巳之助は思わずうしろをふりむいて見たほどだった。
「巳之さん、これが電気だよ」
巳之助は歯をくいしばって、ながいあいだ電燈を見つめていた。敵《かたき》でも睨《にら》んでいるようなかおつきであった。あまり見つめていて眼のたまが痛くなったほどだった。
「巳之さん、そういっちゃ何だが、とてもランプで太刀《たち》うちはできないよ。ちょっと外へくびを出して町通りを見てごらんよ」
巳之助はむっつりと入口の障子《しょうじ》をあけて、通りをながめた。どこの家どこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電燈がともっていた。光は家の中にあまつて、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた巳之助にはまぶしすぎるほどのあかりだった。巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。
ランプの、てごわいかたきが出て来たわい、と思った。いぜんには文明開化ということをよく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということは分らなかった。りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
その日から巳之助は、電燈が自分の村にもひかれるようになることを、心ひそかにおそれていた。電燈がともるようになれば、村人たちはみんなランプを、あの甘酒屋のしたように壁の隅につるすか、倉の二階にでもしまいこんでしまうだろう。ランプ屋のしょうばいはいらなくなるだろう。
だが、ランプでさえ村へはいって来るにはかなりめんどうだったから、電燈となっては村人たちはこわがって、なかなか寄せつけることではあるまい、と巳之助は、一方では安心もしていた。
しかし間もなく、「こんどの村会で、村に電燈を引くかどうかを決めるだげな」という噂《うわさ》をきいたときには、巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。強敵いよいよござんなれ、と思った。
そこで巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電燈反対の意見をまくしたてた。
「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に狐《きつね》や狸《たぬき》がつたって来て、この近《きん》ぺんの田畠《たはた》を荒らすことはうけあいだね」
こういうばかばかしいことを巳之助は、自分の馴《な》れたしょうばいを守るためにいうのであった。それをいうとき何かうしろめたい気がしたけれども。
村会がすんで、いよいよ岩滑新田《やなべしんでん》の村にも電燈をひくことにきまったと聞かされたときにも、巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。こうたびたび一撃をくらってはたまらない、頭がどうかなってしまう、と思った。
その通りであった。頭がどうかなってしまった。村会のあとで三日間、巳之助は昼間もふとんをひっかぶって寝ていた。その間に頭の調子が狂ってしまったのだ。
巳之助は誰かを怨《うら》みたくてたまらなかった。そこで村会で議長の役をした区長さんを怨むことにした。そして区長さんを怨まねばならぬわけをいろいろ考えた。へいぜいは頭のよい人でも、しょうばいを失うかどうかというようなせとぎわでは、正しい判断をうしなうものである。とんでもない怨みを抱《いだ》くようになるものである。
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度《したく》に打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬《いたち》のように身をかがめて走ったり、藪《やぶ》の中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根《わらやね》の牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋《おもや》はもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめてい
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