というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっと猫《ねこ》のようなものだ。こらこら、それはここへ持って来て、お前たちは外へ行って遊んで来い。外に行けば、電信柱《でんしんばしら》でも何でも遊ぶものはいくらでもあるに」
こうして叱られると子供ははじめて、自分がよくない行いをしたことがわかるのである。そこで、ランプを持出した東一君はもちろんのこと、何も持出さなかった近所の子供たちも、自分たちみんなで悪いことをしたような顔をして、すごすごと外の道へ出ていった。
外には、春の昼の風が、ときおり道のほこりを吹立ててすぎ、のろのろと牛車が通ったあとを、白い蝶《ちょう》がいそがしそうに通ってゆくこともあった。なるほど電信柱があっちこっちに立っている。しかし子供たちは電信柱なんかで遊びはしなかった。大人《おとな》が、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となくばかげているように子供には思えるのである。
そこで子供たちは、ポケットの中のラムネ玉をカチカチいわせながら、広場の方へとんでいった。そしてまもなく自分たちの遊びで、さっきのランプの
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