るかわかったもんじゃない。牛は起きていても寝ていてもしずかなものだから。もっとも牛が眼《め》をさましていたって、火をつけるにはいっこうさしつかえないわけだけれども。
 巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた火《ひ》打《うち》の道具を持って来た。家を出るとき、かまどのあたりでマッチを探《さが》したが、どうしたわけかなかなか見つからないので、手にあたったのをさいわい、火打の道具を持って来たのだった。
 巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、ほくち[#「ほくち」に傍点]がしめっているのか、ちっとも燃えあがらないのであった。巳之助は火打というものは、あまり便利なものではないと思った。火が出ないくせにカチカチと大きな音ばかりして、これでは寝ている人が眼をさましてしまうのである。
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
 そういってしまって巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。
「古くせえもなア[#「古くせえもなア」に傍点]、いざというとき間にあわねえ[#「いざというとき間にあわねえ」に傍点]、……古くせえもなア間にあわねえ[#「古くせえもなア間にあわねえ」に傍点]……」
 ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
 巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ランブはもはや古い道具になったのである。電燈という新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは棄《す》てて、世の中のためになる新しいしょうばいにかわろうじゃないか。――
 巳之助はすぐ家へとってかえした。
 そしてそれからどうしたか。
 寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのランプに石油をつがせた。
 おかみさんは、こんな夜更《よふ》けに何をするつもりか巳之助にきいたが、巳之助は自分がこれからしようとしていることをきかせれば、おかみさんが止めるにきまっているので、黙っていた。
 ランプは大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのランプをつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
 道が西の峠《とうげ》にさしかかるあたりに、半田池《はんだいけ》という大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
 巳之助は人気《ひとけ》のないここを選んで来た。
 さて巳之助はどうするというのだろう。
 巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのランプを三本の木に吊した。
 風のない夜で、ランプは一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂《た》れたままランプの鈴なりになった木を見つめていた。
 ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんで来たランプ。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
 それから巳之助は池のこちら側の往還《おうかん》に来た。まだランプは、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのランプがともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。
 ランプ、ランプ、なつかしいランプ。
 やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているランプに狙《ねら》いをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世《じせい》はすぎた。世の中は進んだ」
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったランプが、パリーンと鳴って消えた。
「世の中
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