屋の店も何だか間がぬけてしまった。客もへるだろうよ」
甘酒屋は、相手がランプ売であることに気がついたので、電燈の便利なことはもういわなかった。
「なア、甘酒屋のとッつあん。見なよ、あの天井のとこを。ながねんのランプの煤《すす》であそこだけ真黒になっとるに。ランプはもうあそこにいついてしまったんだ。今になって電気たらいう便利なもんができたからとて、あそこからはずされて、あんな壁のすみっこにひっかけられるのは、ランプがかわいそうよ」
こんなふうに巳之助はランプの肩をもって、電燈のよいことはみとめなかった。
ところでまもなく晩になって、誰もマッチ一本すらなかったのに、とつぜん甘酒屋の店が真昼のように明かるくなったので、巳之助はびっくりした。あまり明かるいので、巳之助は思わずうしろをふりむいて見たほどだった。
「巳之さん、これが電気だよ」
巳之助は歯をくいしばって、ながいあいだ電燈を見つめていた。敵《かたき》でも睨《にら》んでいるようなかおつきであった。あまり見つめていて眼のたまが痛くなったほどだった。
「巳之さん、そういっちゃ何だが、とてもランプで太刀《たち》うちはできないよ。ちょっと外へくびを出して町通りを見てごらんよ」
巳之助はむっつりと入口の障子《しょうじ》をあけて、通りをながめた。どこの家どこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電燈がともっていた。光は家の中にあまつて、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた巳之助にはまぶしすぎるほどのあかりだった。巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。
ランプの、てごわいかたきが出て来たわい、と思った。いぜんには文明開化ということをよく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということは分らなかった。りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
その日から巳之助は、電燈が自分の村にもひかれるようになることを、心ひそかにおそれていた。電燈がともるようになれば、村人たちはみんなランプを、あの甘酒屋のしたように壁の隅につるすか、倉の二階にでもしまいこんでしまうだろう。ランプ屋のしょうばいはいらなくなるだろう。
だが、ランプでさえ村へはいって来るにはかなりめんどうだったから、電燈となっては村人たちはこわがって、なかなか寄せつけることではあるまい、と巳之助は、一方では安心もしていた。
しかし間もなく、「こんどの村会で、村に電燈を引くかどうかを決めるだげな」という噂《うわさ》をきいたときには、巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。強敵いよいよござんなれ、と思った。
そこで巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電燈反対の意見をまくしたてた。
「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に狐《きつね》や狸《たぬき》がつたって来て、この近《きん》ぺんの田畠《たはた》を荒らすことはうけあいだね」
こういうばかばかしいことを巳之助は、自分の馴《な》れたしょうばいを守るためにいうのであった。それをいうとき何かうしろめたい気がしたけれども。
村会がすんで、いよいよ岩滑新田《やなべしんでん》の村にも電燈をひくことにきまったと聞かされたときにも、巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。こうたびたび一撃をくらってはたまらない、頭がどうかなってしまう、と思った。
その通りであった。頭がどうかなってしまった。村会のあとで三日間、巳之助は昼間もふとんをひっかぶって寝ていた。その間に頭の調子が狂ってしまったのだ。
巳之助は誰かを怨《うら》みたくてたまらなかった。そこで村会で議長の役をした区長さんを怨むことにした。そして区長さんを怨まねばならぬわけをいろいろ考えた。へいぜいは頭のよい人でも、しょうばいを失うかどうかというようなせとぎわでは、正しい判断をうしなうものである。とんでもない怨みを抱《いだ》くようになるものである。
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度《したく》に打つ太鼓がとほとほと聞えて来た。
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬《いたち》のように身をかがめて走ったり、藪《やぶ》の中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは藁屋根《わらやね》の牛小屋であることは、もう家を出るときから考えていた。
母屋《おもや》はもうひっそり寝しずまっていた。牛小屋もしずかだった。しずかだといって、牛は眠っているかめざめてい
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