いろいろな物をはじめて見た。軒《のき》をならべて続いている大きい商店が、第一、巳之助には珍らしかった。巳之助の村にはあきないやとては一軒しかなかった。駄菓子《だがし》、草鞋《わらじ》、糸繰《いとく》りの道具、膏薬《こうやく》、貝殻《かいがら》にはいった目薬、そのほか村で使うたいていの物を売っている小さな店が一軒きりしかなかったのである。
 しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は盲のように手でさぐりながら、水甕《みずがめ》や、石臼《いしうす》や大黒柱《だいこくばしら》をさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入《よめい》りのとき持って来た行燈《あんどん》を使うのであった。行燈は紙を四方に張りめぐらした中に、油のはいった皿《さら》があって、その皿のふちにのぞいている燈心《とうしん》に、桜の莟《つぼみ》ぐらいの小さいほのおがともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。
 それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。煤《すす》けたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。
 このランプのために、大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明かるく感じられた。もう巳之助は自分の村へ帰りたくないとさえ思った。人間は誰でも明かるいところから暗いところに帰るのを好まないのである。
 巳之助は駄賃《だちん》の十五銭を貰《もら》うと、人力車とも別れてしまって、お酒にでも酔ったように、波の音のたえまないこの海辺の町を、珍らしい商店をのぞき、美しく明かるいランプに見とれて、さまよっていた。
 呉服屋では、番頭さんが、椿《つばき》の花を大きく染め出した反物《たんもの》を、ランプの光の下にひろげて客に見せていた。穀屋《こくや》では、小僧さんがランプの下で小豆《あずき》のわるいのを一粒ずつ拾い出していた。また或る家では女の子が、ランプの光の下に白くひかる貝殻を散らしておはじきをしていた。また或る店ではこまかい珠《たま》に糸を通して数珠
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