いぼ
新美南吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)松吉《まつきち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)牛|部屋《べや》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)からうす[#「からうす」に傍点]
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一
にいさんの松吉《まつきち》と、弟の杉作《すぎさく》と、年もひとつちがいでしたが、たいへんよくにていました。おでこの頭が顔のわりに大きく、わらうと、ひたいにさるのようにしわがよるところ、走るとき、両方の手をひらいてしまうところも同じでした。
「ふたり、ちっとも、ちがわないね。」
と、よく人がいいました。そうすると、にいさんの松吉が、口をとがらして、虫くい歯のかけたところからつばをふきとばしながら、いうのでした。
「ちがうよ。おれにはふたつもいぼがあるぞ。杉にゃひとつもなしだ。」
そういって、右手の骨《ほね》ばったにぎりこぶしを出して見せました。見ると、なるほど、親指と人さし指のさかいのところに、一センチぐらいはなれて、小さいいぼがふたつありました。
この兄弟の家へ、町から、いとこの克巳《かつみ》が遊びにきたのは、きょ年の夏休みのことでした。克巳は、松吉と同い年の、小学校五年生でした。
克巳は五年生でも、からだは小さく、四年生の杉作とならんでも、まだ五センチぐらい低かったが、こせこせとよく動きまわる子で、松吉、杉作の家へくるとじき、はつかねずみというあだ名をつけられてしまいました。
松吉、杉作の家のうらてには、ふたかかえもあるニッケイの大木がありました。その木の皮を石でたたきつぶすと、いいにおいがしたので、おとなたちが、昼ねをしている昼さがりなど、三人で、まるできつつきのように、木のみきをコツコツとたたいていたりしました。
また、あるときは、おじいさんの耳の中に、毛がはえていることを克巳が見つけて、
「わはァ、おじいさんの耳、毛がはえている。」
とはやしたてたことがありました。松吉、杉作は、もうずっとまえから、そんなことは知っていました。が、あまり、克巳がおもしらそうにはやしたてるので、いっしょになってこれも、
「わはい、おじいさんの耳、毛がはえている。」
と、はやしたてたものでした。すると、おじいさんが、松吉、杉作をにらみつけて、
「なんだ、きさまたちゃ。おじいさんの耳に、毛のはえとることくれえ、毎日見て、よく知ってけつかるくせに。」
と、しかりとばしました。そんなこともありました。
克巳はからうす[#「からうす」に傍点]をめずらしがって、米をつかせてくれとせがみました。しかし、二十ばかり足をふむと、もういやになって、おりてしまいましたので、あとは、松吉と杉作がしなければなりませんでした。
あしたは克巳が、町へ帰るという日の昼さがりには、三人でたらい[#「たらい」に傍点]をかついで裏《うら》山の絹池《きぬいけ》にいきました。絹池は、大きいというほどの池ではありませんが、底知れず深いのと、水がすんでいてつめたいのと、村から遠いのとで、村の子どもたちも、遊びにいかない池でした。三人は、その池をたらいにすがって、南から北に横ぎろうというのでした。
三人は南の堤防《ていぼう》にたどりついてみますと、東、北、西の三方を山でかこまれた池は、それらの山と、まっ白な雲をうかべているばかりで、あたりには、人のけはいがまるでありません。三人はもう、すこしぶきみに感じました。しかし、せっかくここまでたらい[#「たらい」に傍点]をかついできて、水にはいりもせず帰っては、あまり、いくじのない話ではありませんか。三人は勇気《ゆうき》を出して、はだかになりました。そして、土手《どて》の下のよし[#「よし」に傍点]の中へ、おそるおそる、たらい[#「たらい」に傍点]をおろしてやりました。
たらい[#「たらい」に傍点]が、バチャンといいました。その音が、あたりの山一面に聞こえたろうと思われるほど、大きな音に聞こえました。たらい[#「たらい」に傍点]のところから、波の輪がひろがっていきました。見ていると、池のいちばんむこうのはしまでひろがっていって、そこの小松のかげが、ゆらりゆらりとゆれました。三人はすこし、元気が出てきました。
「はいるぞ。」
と、松吉が、うしろを見ていいました。
「うん。」
と、克巳《かつみ》がうなずきました。
三人のはだかん坊《ぼう》は、ずぼりずぼりと水の中にすべりこみ、たらい[#「たらい」に傍点]のふちにつかまりました。そして、うふふふふ、と、おたがいに顔を見合わせてわらいました。おかしいのでわらったのか、あまりつめたかったのでわらったのか、じぶんたちにもよくわかりませんでした。
もう、こうなっては、じっとしているわけには、いきません。三人は足を動かしました。はじめのうちは、調子《ちょうし》がそろわないので、ひとつところであばれているばかりでした。が、そのうちに、三人は同じ方へ水をけりました。たらい[#「たらい」に傍点]は、すこしずつ、池の中心にむかって、進みはじめました。
長い時間がたちました。
三人はへとへとになりました。もう足を動かすのがいやになりました。さて、三人は、どこまできたのでしょう。じぶんたちの位置《いち》を見て、三人はびっくりしました。いまちょうど、池のまん中にいるではありませんか。
まわりの山で、せみは鳴きたてています。気ばかりあせります。しかし、からだはもう動きません。
「もう、おれ、およげん。」
と弟の杉作が、なきだすまえのわらい顔でいいました。
松吉も、なきたい気持ちでした。だまって目をつむりました。
「ぼくも、もう、だめや。」
と、克巳《かつみ》もいいました。
松吉は目をひらくと、きっぱり、
「もどろう、そろそろいこう。」
と、いいました。
そして、たらい[#「たらい」に傍点]を、ぎゃくの方向に、ぐいとひとつおしました。
杉作も克巳も、だまっていました。しかし、松吉についていくより、しかたがありませんでした。つかれきったふたりの顔に、かすかにわきあがる力のいろが見えました。
たらい[#「たらい」に傍点]は、動いていくようには思えませんでした。いつまでたっても、もとの土手《どて》に帰りつくことは、できないように見えました。
三人は、ときどき、ちっとも近くならない土手の方に、ちらっちらっと、絶望《ぜつぼう》したような目をなげました。
そのとき、松吉の口をついて、
「よいとまァけ。」
という、かけ声がとび出しました。
よいとまけ――それは、いなかの人たちが、家をたてるまえ、地がためをするとき、重い大きいつちを、上げおろしするのに力をあわせるため、声をあわせてとなえる音頭《おんど》です。それはいなか[#「いなか」に傍点]のことばです。町の子どもである克巳《かつみ》に聞かれるのは、はずかしいことばです。しかし、いまは、松吉は、はずかしくもなんともありません。必死《ひっし》でした。
「よいとまァけ。」
と、水をけって、また松吉はいいました。
すると、弟の杉作がなき声で、
「よいとまァけ。」
と、応《おう》じました。杉作も必死《ひっし》でした。
「よいとまァけ。」
松吉は、声をはりあげました。
するとこんどは、杉作ばかりでなく、克巳《かつみ》までがいっしょに、
「よいとまァけ。」
と、応じました。
克巳もまた、必死だったのです。
三人とも必死でした。必死である人間の気持ちほど、しっくり結びあうものはありません。
松吉は、じぶんたち三人の気持ちが、ひとつのこぶしの形に、しっかり、にぎりかためられたように感じました。そうすると、いままでの百倍もの力が、ぐんぐんわいてきました。
「よいとまァけ。」
と、松吉。
「よいとまァけ。」
と、杉作と克巳。
きゅうに、たらい[#「たらい」に傍点]が、速くなったように思われました。もう土手《どて》は、すぐそこでした。そら、もう、よし[#「よし」に傍点]の一本が、たらい[#「たらい」に傍点]にさわりました。
克巳は、いなかの松吉、杉作の家に十日ばかりいたのですが、最後のこの日ほど、三人がこころの中で、なかよしになったことはありませんでした。
池から家へ帰ってくると、三人はこころもからだも、くたくたにつかれてしまったので、ふじだなの下の縁台《えんだい》に、おなかをぺこんとへこませて、腰《こし》かけていました。
そのとき克巳《かつみ》は、松吉の右手をなでていましたが、
「いぼって、どうするとできる? ぼくもほしいな。」
と、わらいながらいいました。
「ひとつ、あげよか。」
と、松吉はいいました。
「くれる?」
と、克巳はびっくりして、目を大きくしました。
松吉は、家の中から、箸《はし》を一本持ってきました。
「どこへほしい。」
「ここや。」
克巳は信じないもののように、クックッわらいながら、左の二の腕《うで》を、うえぼうそう[#「うえぼうそう」に傍点]してもらうときのように出しました。
松吉の右手の一つのいぼと、克巳の腕とに、箸がわたされました。
松吉は、大まじめな顔をしました。そして、天のほうを見ながら、
「いぼ、いぼ、わたれ。
いぼ、いぼ、わたれ。」
と、よく意味のわかるじゅもんをとなえました。
そのよく日、町の子の克巳《かつみ》は、なすや、きゅうりや、すいかを、どっさりおみやげにもらって、町の家に帰っていったのでした。
二
牛|部屋《べや》のかげで、さざんかが白くさくころに、松吉、杉作のうちでは、あんころ餅《もち》をつくりました。農揚《のうあ》げといって、この秋のとり入れと、お米ごしらえがすっかり終わったお祝いに、どこの百姓家《ひゃくしょうや》でもそうするのです。
松吉と杉作が、土曜の午後に、学校から帰ってくると、そのお餅を、町の克巳の家にくばっていくことになりました。これはもうきのう、お餅をつくっているときから、ふたりがおかあさんにたのんで、かたく約束しておいたことです。
なぜなら、このことには、ふたつのよいことがありました。ひとつは、夏休みになかよしになったいとこの克巳に会えるということ、もうひとつは、あまりはっきりいいたくないのですが、おだちんをもらえることです。そしてまた、町のおじさんおばさんは、いなかの人のように、お銭《かね》のことではケチケチしません。いつも五十銭ぐらい、おだちんをくれたのです。
おかあさんが、お餅のはいった重箱《じゅうばこ》を、風呂敷《ふろしき》につつんでいるとき、松吉は、
「ねえ、おっかさん、電車に乗ってっても、ええかん。」
と鼻にかかる声で、ねだりました。
「なんや? 電車や? あんな近いとこまで、歩いていけんようなもんなら、もうたのまんで、やめておいてくよや。おとっつぁんに自転車でひと走りいってきてもらや、すむことだで。」
「うふん。」
と、松吉は鼻をならしました。しかし、帰りはもらったおだちんで、電車に乗ることができると思って、わずかに心をなぐさめました。
松吉と杉作は、ぼうしをかむらないで家を出ました。ぼうしをかむって町へいくと、町の子どもが徽章《きしょう》を見て、松吉、杉作がいなかからきたことを、さとるにちがいありません。それが、ふたりはいやだったのです。
ふたりが八幡《はちまん》さまの石鳥居の前を通りかかると、そこで、こまを持って、ひとりでしょぼんとしていたけん坊《ぼう》が、
「杉、どこへいくで、遊ぼかよ。」
と、声をかけました。
杉作は、
「おれたち、町へいくんだもん。」
と、いいました。そしてふたりは、新しい幸福にむかって進んでいく人のように、わき目もふらないですぎていきました。
けん坊《ぼう》は、はねとばされた子ねこのような顔をして、ふたりを見送っていました。
村を出てしまったころに、松吉は、じぶんの右手がいたんでいることに、気がつきました。見ると、重箱《じゅうばこ》が右手に持た
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