れているのでした。
 ちょうど、うまいぐあいに、一メートルぐらいの竹切れが、道ばたに落ちていました。ふたりはその竹を、風呂敷《ふろしき》の結びめの下に通して、ふたりでさげていくことにしました。弟の杉作が先になり、兄の松吉があとになりました。こうしてふたりで持てば、重箱《じゅうばこ》はたいそう軽いのでした。うまいぐあいでした。
 ふたりはしばらく、だまっていきました。松吉はぼんやりと、考えはじめました――五十銭くれると。五十銭もくれるだろうか。でもおばさんは、きょ年もそのまえも五十銭くれたから、ことしだって、くれるだろう。五十銭くれると、それでなにを買おうか。模型《もけい》飛行機の材料――あの米屋の東一君が持っているようなのは、いくらするだろう。五十銭では買えないかなア。それとも、雑誌《ざっし》を買おうかなァ。弟は、なにがいいというかしらん……。
 松吉の、とりとめのない夢《ゆめ》は、とつぜん、
「どかァん!」
 という、とてつもない音で、ぶちやぶられました。松吉はきもをつぶして、あやうく、持っていた竹を、はなしてしまうところでした。
 そんな声をだしたのは、すぐ前を歩いている弟の杉作でした。杉作であることがわかると、松吉ははらがたってきました。
「なんだァ、あんなばかみてな声をだして。」
 すると杉作は、うしろも見ないで、こういうのでした。
「あっこの木のてっぺんに、とんび[#「とんび」に傍点]がとまったもんだん、大砲《たいほう》を一発うっただげや。」
 それでは、しかたがありません。
 また、しばらくふたりはだまっていきました。
 また松吉は、考えはじめました――克巳《かつみ》はきょう、うちにいるだろうか。おれたちの顔を見たら、どんなに喜ぶだろう。いぼはうまく、腕《うで》についたろうか。おれのいぼは、ひとつ消えてしまったけど。
 松吉は、じぶんの右手をそっと見ました。

         三

 町にはいると、ふたりは、じぶんたちが、きゅうにみすぼらしくなってしまったように思えました。
 これでは、ぼうしの徽章《きしょう》を見なくても、山家《やまが》から出てきたことがわかるでしょう。第一、町の人は、こんなふうに、魂《たましい》をぬかれたように、きょろんきょろんとあたりを見ていたり、荷馬車にぶつかりそうになって、どなりつけられたりはしません。ところが、このきょろんきょろんがふたりともやめられないのでした。
 ふたりは、こころの中では、ひとつの不安を感じていました。それは、町の子どもにつかまって、いじめられやしないか、ということでした。だから、ふたりはこころをはりつめ、びくびくし、なるべく、子どものいないようなところをえらんでいきました。
 同盟書林《どうめいしょりん》という、大きい本屋の前を通りすぎて、すこしいってから、東へはいるせまい路地《ろじ》なかに、克巳の家はありました。そこで、同盟書林《どうめいしょりん》をすぎると、ふたりは、首をがちょうのようにのばして、どんな細い路地《ろじ》ものぞきこみました。道もない、ただ家と家のあいだになっているところまで、のぞきこみました。
 そのうちに、杉作が、
「あっ、ここだ。」
 と、落とした財布《さいふ》でも見つけたように、さけびました。なるほど、その小路《こうじ》のなかほどに、紅《あか》と白のねじ飴《あめ》の形をした、床屋《とこや》の看板《かんばん》が見えました。――克巳の家は床屋さんでした。
 ふたりは、幸運《こううん》のしっぽを、たしかにつかんだ人のように、あわてずに、進んでいきました。竹切れは、ぬいてすてました。重箱《じゅうばこ》は松吉が持ちました。松吉は口の中で、むこうでいうように、おかあさんから教えられてきたことを、復習《ふくしゅう》しました。
 店の前までくると、入口のすりガラスの大戸の前には、冬の午後の、かじかんだ日ざしをうけて、ひとつひとつの葉の先に、とげのあるらんの小さい鉢《はち》がふたつおいてありました。らんの根もとには卵《たまご》のからがふせてあって、それに道のほこりがつもって、うそ寒いように見えました。しかし、店の中は、すりガラスでよくは見えませんが、あたたかそうな湯気《ゆげ》がたっています。そこには、やさしいおばさんおじさん、なつかしい克巳がいるのです。
 重いガラス戸をあけて中へはいりますと、おじさんがひとり、たたみのしいてあるところに、あおむけにひっくり返って、新聞を読んでいました。こちらの方では、まるい銀の頭を、ぴかぴかにみがきあげられたタオルむしが、ひとりで、ジューン、ジューンと湯気をふいていました。
 おじさんは新聞を読みながら、うとうとしていたらしく、しばらくそのままでいましたが、やがて、人のけはいにおどろいて、ガバッと新聞をはねのけ、起きあがりました。それを見て、ふたりはびっくりしました。おじさんではなかったのです。
 それはふたりの村の、かじ屋の三男の小平《こへい》さんでした。小平さんは、そのまえの年の春ごろ、学校を卒業しました。そういえばいつか小平さんが町の床屋《とこや》さんへ、小僧《こぞう》にいったということを、聞いたような気もします。
 ふたりは、つくづくと小平さんの顔とすがたを、うちながめました。
 小平さんはなんとなく、おとなくさくなりました。色が白くなり、あごのあたりがこえてきたようでした。頭も床屋《とこや》にきたからでしょうが、四角なかっこうに、きれいにかりこんでいます。もとから、あまり口をきかないで、目を細くして、にこにこしていました。そのくせ、人のうしろから、よくいたずらをしました。
 いちど、松吉は、耳の中へあずきを入れられて、こまったことがありました。ああいうことを、小平さんは、今でもおぼえてるかしらん、忘れてしまったかしらん――ともかく、いまも小平さんは、白いうわっぱり[#「うわっぱり」に傍点]のポケットに両手を入れて、ふたりを見ながら、にこにこしています。
 小平さんは、きょうは親方《おやかた》もおかみさんも、金光教《こんこうきょう》のなんとやらへいっていない、克巳《かつみ》ちゃんもまだ学校から帰ってこない、といいました。
 ふたりは、ちょっと失望《しつぼう》しました。
「だが、まだ三時だから、もうちょっと待っておれよ。そのうちに、おかみさんが帰っておいでるかもしれんに。」
 と、小平さんがいいました。
 そこでまた、希望《きぼう》がわきました。ふたりは、あがりはなに、目白《めじろ》おしにならんで、腰《こし》をかけました。
 小平さんは、ともかく、お餅《もち》をいただいておこうといって、おくへはいっていき、カタンコトンと音をさせていましたが、やがて、からの重箱《じゅうばこ》を、また風呂敷《ふろしき》につつんで出てきました。松吉はそれをうけとって、ひざの横におきました。
 あれから、五分たちました。まだ、おばさんは帰ってきません。おじさんも克巳《かつみ》も、帰ってきません。松吉、杉作はいっしょに、小さいためいきをつきました。
 小平さんは、ふたりの頭を見ていましたが、
「だいぶ、のびとるな、ひとつ、だちんのかわりに、かってやろか。」
 と、いいました。
 ふたりは顔を見あわせて、クスリとわらいました。
 松吉も杉作も、生まれてからまだ一ども、床屋《とこや》でかみをかってもらったことはありませんでした。いつもふたりのかみをかったのは、おとうさんか、おかあさんの手ににぎられたバリカンでした。そのバリカンは、もう五、六年まえから、ひどく調子《ちょうし》が悪く、ときどき、ぐわッと大きくかみついて、とることもどうすることもできなくなってしまうようなしまつでしたので、ふたりは、家でかみをかることを、あまり好んではいませんでした。
 ふたりは、目の前にある、りっぱな腰かけを見ました。白いせともののひじかけがついています。おしりののるところは、黒い皮ではってあります。もたれるところも、黒い皮です。その上に、小さいまくらのようなものまで、ついています。下の方は、足をのせるかねの台があって、それにはすかしぼりの模様《もよう》があります。このりっぱな腰《こし》かけに腰かけて、やってもらうのです。ふたりはまた、なんとなく顔を見あわせました。
 小平さんにうながされて、松吉と杉作は、先をゆずりあって、おたがいにすみの方へひっこみあいをしましたが、とうとう、にいさんの松吉が、先にしてもらうことになりました。
 松吉はこわごわ、りっぱな腰かけにのりました。ばかに高いところに、のぼったような気がしました。すぐ前の大きい鏡に、あまりにはっきり、じぶんのひょうたん顔がうつりましたので、はずかしくなりました。
 小平さんは、まっ白な布で、松吉の首から下をつつんでしまいました。手も出ませんでした。
 小平さんは、どこかからバリカンをとり出してきました。バリカンは、家のと同じもののように見えました。バリカンがさわったとき、松吉は思わず首をすくめました。このバリカンも、かみつくかと思ったのです。
 ポロリと、白い布の上に落ちてきたものを見ると、かられた、黒い、じぶんのかみの毛でした。なァんだ、もうかられているのかと、思いました。ちっとも、いたくないではありませんか。そこで松吉は、やっと安心して、かたの力をぬきました。
 かみがかられてしまうと、松吉は、これでおしまいだと思いました。家ではいつでも、それだけだったからです。ところが、おどろいたことには、腰かけがキーイとかすかな音をたてて、うしろへたおれていきました。
「あッ。」
 と、松吉は、声をたてました。しかし、腰かけはたおれたのではありませんでした。もたれだけが、うしろにのびて、腰かけている人があおむけにねるようになっただけでした。
 天じょうの白壁《しらかべ》や、キャベツの玉のような形の大きい、すりガラスの電燈を見ていると、とつぜん、顔一面に、だッとなにかあついぬれたものをのせられて、目も見えなくなってしまいました。見ていた杉作が、おかしかったのか、ハハハハ、とわらっています。松吉もわらいたいのですが、顔がふさがっていて、わらうことができません。人間は、顔でわらう[#「顔でわらう」に傍点]のだということが、よくわかりました。顔にのせられたのは、むしタオルでありました。
 小平さんはタオルをのけると、太い筆のようなもので、せっけんのあわを松吉の顔にぬり、かみそりで、ひたいぎわからそりはじめました。
 松吉はそのとき、小平さんがまだ子どもで村にいたころ、松吉たちによくいたずらをしたことを、また思い出しました。小平さんはよくうしろから、そっときて、人の背中《せなか》へ手を入れたり、わきの下をくすぐったりしました。そして、小さい目を細くして、にやにやわらっていました。
 いまも松吉は、小平さんが、そんないたずらを、はじめるのではないかと、おしりのおちつかぬ思いでした。ことに小平さんが、松吉の耳をつまんで、二どばかり、耳の毛をそったときには、松吉は、てっきり、小平さんが、むかしのいたずらをはじめたと、思いました。もうすこしで、クックッとわらいだすところでした。しかし、小平さんの顔を見ますと、まじめな顔をしていました。あそび[#「あそび」に傍点]をしているのではない、仕事[#「仕事」に傍点]をしているおとな[#「おとな」に傍点]の顔つきでありました。
 松吉には、小平さんがおとなになったから、もうあそばない[#「あそばない」に傍点]ということがわかりました。おとなは仕事をするのです。たとえ、人の耳をつまんでそるというような、いたずらみたいなことでも、小平さんは仕事ですから、まじめにするのです。松吉には、おとなになるというのは、ふざけるのをやめて、まじめになる約束のように思われました。なんとなく、さみしい感じがしました。
 すみの洗面所《せんめんじょ》で頭をあらい、もう一ぺん腰《こし》かけにもどり、顔に、ぬるぬるしたものをぬってもらうと、松吉の番はすみました。こんどは、弟の杉作がかわって、腰かけにのぼり
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